Novel

イシュクル村の幻影

著者:真悠
1464

 星海暦、天星180星年光の月(4月)12金星日、星誕祭の真っ最中…何故かその日は、妙な胸騒ぎを感じる日だった。久しぶりに戦いもなく穏やかな星年だったのに、あの感覚は…何だったのか自分でも説明のしようがなかった事を覚えている。

「…何かが起きそうだな。」
「セイクリッド様…何をおっしゃっているんですか。この星誕祭の刻に不吉な事を。それとも…何か起こってほしいんですか?」

 俺の独り言に呆れた様に反応するアーレス。まぁ、溜まっていたセグーラ(書類)の対応で、退屈すぎて何か起こってほしい――と言うのも一理あるが、どうもそれだけじゃない。ただ本当に説明できないんだ。

「フ…ン、退屈だからなぁ、何か起こって欲しいってのはあるかもしれないな。」
「セイクリッド様、判ってらっしゃいますよね? 今は星誕祭の真っ最中で、貴方もこの祭りの要の一人なんですよ。騒ぎなんか起こすような事や、それに加担するような事があれば、私がエリュクス様からお咎めを受けるんですよ!」
「おいおい、随分と大袈裟だな。お前がエリュクスから咎めを受けるって? 有り得ねぇだろうが。」
「…セイクリッド様、本気で何かを仕出かすおつもりですか? でしたら私も考えがありますが…。」

 アーレスは、正面きって据わったような目で俺を睨み付けている。こいつは、いつもそうだ。エリュクスにも何を言われているのやら、俺が何かをしそうになると全身で止めようとする。
こいつにしてみると、それも自分の役目だからと言うが、そんなに俺が信用出来ないのか…。あ、いや、信用出来なくて当たり前と言えば、当たり前か。色んな事をやってこいつに心配をかけたからな。

「判ったって、何もしない。自分の役目を忠実に果たすよ。…それで良いんだろう?」
「本当にその誓いを守って頂けるのでしたらそれで良いですよ。…久しぶりに退屈を満喫なさるのも、セイクリッド様にとっては良い事ですよ。戦い尽くめでしたからね。」
「俺が退屈を何より嫌っているのを知っているくせに良く言うぜ…。」

 俺の溜息交じりの言葉にアーレスも事も無げに答える。

「知っているから言えるんですよ。もちろん嫌味も多分に含んでいますが…。」
「チッ、お前まだあの時の事を根に持っているのかよ。」
「……セイクリッド様なら、自分が一番信用している人から、何も聞かされる事なく突然私が受けたような仕打ちを受けて許せますか?」

 淡々と言うアーレスの言葉に思わずグッと言いたい言葉を飲み込んでしまっていた。そう言われりゃ返す言葉はない。兄貴やセロルナ、エリュクス、ファティラーナ以外俺にここまで意見出来る奴は、聖帝国ムーや世界広しと言えどもこいつだけだろう。
逆を言えば、それだけ心配かけたのだろう。まぁ滅茶苦茶だったからな、俺自身も…。

「…あの刻の事は悪かったって…。お前を初めとする皆には迷惑をかけたと思っている。」

 俺の言葉に目を丸くして驚いたような顔をしているアーレス。

「セイクリッド様、まさかどこか打ち所が悪かった訳じゃないですよね?」
「あのなぁ、俺が謝るのはそんなに変か?」
「はい!」
「お…前なぁ!」

 アーレスの言葉に思わず握りこぶしを作った俺に、アーレスが笑いながら話を続ける。

「冗談ですよ。エリュクス様と星誕祭を見物に行ってはいかがですか? 今星年の星誕祭は聖霊のジオとファグルの婚姻もあると言う事で、いつも以上に賑やかですよ。」

 アーレスの申し出に思わず苦笑いが出てしまった。

「エリュクスと行けって…それこそ無理だろうが。あいつは、今星年の星誕祭をすべて取り仕切っているんだぜ? ひっきりなしに客の相手をしているんだからな。」
「あ、も、申し訳ありません…。」

 俺の言葉に、アーレスは本当に申し訳なさそうに謝って来た。

「フ、謝られる事じゃねぇよ。それよりお前はアスタロトと一緒に行かないのか? あのおてんばは、こう言う華やかで楽しいシチュエーションが好きなはずだろう。連れて行けば喜ぶんじゃないか?」
「…って良くご存知ですね。彼女の事…。」
「そりゃぁなぁ…あいつがガキの頃からどれだけ『連れてけ!』と付きまとわれた事か。お前にしてみれば、面白くない出来事かも知れねぇがな。それでもここ最近おとなしいのは、お前がいるからだろう?」
「え、いえ、そ、そんな…。」

 アスタロトに本気で惚れているのか、アーレスの顔も赤くなる。まあ、良い傾向だよな。ただ…前途多難だよなぁ、アスタロトと結ばれるためには、手強い奴の許可をもらわなけりゃならねぇからな。
母親はあっけらかんとしているが、父親が問題か。そればかりは俺もどうもしてやれないし、後はアーレスの根性ひとつだから頑張れ。

「あ…そう言えばご存知ですか? 最近、聖戦士や聖天王を騙る者達が横行しているらしいですよ。」
「ああ、らしいな。民達にも危害が及んでいると言うが、戦士達が駆けつけた時には、逃げていて捕まえられないとか聞いたぜ。」

 俺の言葉にアーレスも苦笑する。

「さすがにご存知でしたか。」
「まあな、多分この星誕祭でもどこかでそいつらは現れるだろうな…。アーレスその報告が来たらすぐに俺に知らせろ。心話でも構わん。即座にぶちのめしてやるさ。」
「セ、セイクリッド様、お願いですから穏便に…。」
「馬鹿かお前は、民達の安全も守れないようで何が穏便にだ。聖戦士や聖天王の名前を騙るだけじゃ飽き足らず、女達を良い様に集団で犯したり、盗みで民達の家にも押し入っていると言う報告も入っている。
…さすがにこれ以上黙っているのも俺達戦士がコケにされているのと同じだろうが。別に殺すとは言っていない。戯けた奴等をきっちりと教育してやるだけだ。俺は俺の役目を果たすまでだぜ?」

 バキッと指を鳴らしニヤリと笑う俺に、アーレスも賛同していた。

「確かにそうですね…。一応他の戦士達にも、騙り者が現れたら遠慮せずに捕らえろと連絡はしてあります。まあ、皆も偽者達の行動にかなり怒っていますからね。アザフィ様達女戦士に見つかったら、多分半殺しの目にあうでしょうね。」
「ふん、女戦士達に限らずラーオメディア聖宮の女達の手にかかったら同じだろうが。いや、もっと悲惨な事になるぜ?」
「あ、あはは…。その前に何とか捕らえるようにします。」
「あぁ、俺もあちこち見回ってみる。他の戦士達にも何かあったら俺に心話を送るように言っておけ。」
「え!? セイクリッド様、駄目ですよ、まだ…!」

 アーレスの言葉が終わるか終わらないうちに空間転移をしていた俺。きっと後でまたアーレスに何だかんだと言われるだろうが、知った事か。あれ以上、セグーラに向かっていたら身体が訛っちまう。それにもしかしたら、この胸騒ぎの原因も判るかも知れない。
と言っても、胸騒ぎの事をアーレスに言っていない以上、俺の我侭にしかならないがな。まぁ、その辺は自覚しているさ。

 ふと空を見上げると柔らかな日差しが、続刻(ぞとき)の3銀星時(ぎんせいどき)過ぎを継げていたが、それはすぐに不快なものに変わった。さっきまでの胸騒ぎと同様に突然俺を襲ってきた。
何かを貫かれたような、もしくは自分が幾つにも分かれた様な感覚。思わずよろめいた自分の身体に俺自身が一番驚いていた。ある意味、他の戦士達の前じゃなくて良かったのかも知れないが、自分の身体が自分のものじゃないような感覚は、ありえないほどの不快だった。

「な…何だ? この感覚…?」

 ただその不快感は長くは続かなかった。思わず大樹にもたれかかり、知らず知らずのうちに大きな安堵の溜息をついている自分がいた。本当にこんな姿、他の戦士達には、絶対見られたくない姿だよな。
この俺が不快を感じてよろめくなんざ、情けねぇの一言じゃないか。

『セイクリッド様! イシュクル村で騒ぎが起きているそうです。今村人から知らせがありました。』

 突然アーレスから心話が入った。イシュクル村だと? ラトゼラールの近くじゃねぇか。

「判ったすぐ行く。近くにいる者達を呼び寄せておけ。」
『はい、イシュクル村周囲や他の村や街にも既に各戦士達を散らばらせてあります。』
「フ、よく判っているな。」

 俺の送った心話にアーレスがにっこり笑顔を見せているようだった。一瞬の空間転移のあと、イシュクル村に出た。その瞬間俺の目には信じがたい光景が映っていた。十数名の男共がその場にもんどりうって、呻き声を上げながら倒れている姿。そしてその中心には、二人の姿。
そのうちの一人が、転がっている男の一人の胸倉を掴んで冷笑を浮かべていた。その見事な状況に口笛を吹いてしまった俺に振り返る二人。

「ほう? 乱闘騒ぎになっていると聞きつけたが…どうやら終わったようだな。こいつ等を倒したのはお前達二人か?」

 一人は男でストレートの淡く長い金髪を邪魔とでも言わんばかりに、下の方で無造作にまとめ碧の瞳で戦士らしい身のこなし、もう一人は女で、白銀の長い髪を後ろで結んで漆黒の瞳をしていた。顔は綺麗といわれる部類に入るだろう。多分この女も戦士だと思う。

(…え…?)

 その女を見た瞬間だった。不快な光が俺の中を駆け巡っていた。その二人も驚いた顔をして俺を見ている上に女の方が、真っ青な顔をして俺の名前を呼んだ。

「…セイ…ル……?」

 男がその女の両腕を後ろから抱きしめると、その女は男に気がついたかのように安心した顔をしていた。そんな姿を見るとキリキリと胸が苦しくなる。

(お前が何でそんな奴の傍にいる? いる場所が違うだろうが!)

 ふと、訳の判らない思いが俺の中に溢れていた。何だ? この思いは、この女と一度も会った事ないってのに、俺はどうしちまったんだ。

「何? どこかでお前達と会った事があったか?」

 俺の質問に男は、さも迷惑そうにしているし、女は一瞬戸惑っているようだったが、小さく答えていた。

「い、いいえ、噂だけは聞いた事があるだけで…初めてお会いします…。」
(初めて? 違うだろう?)

 本当にこの既視感(デジャヴュ)はどこから来る。胸騒ぎが一層激しくなる。だが、その感傷は回りに転がっている男達の呻き声でかき消されていた。聖戦士や聖天王の名を騙った馬鹿共が、そこらに転がっている。戦士達が何度も逃がしている者達がこの場に倒れていると言う事は紛れもない事実だった。

「ふ、お前達良い腕をしているな。殺さずに急所を打ち、関節を外したか…。この馬鹿共には、良い薬になっただろう。お前達はどこの国の者だ。名は? 何の用で此処に来た?」

 俺が再び質問すると、今度は男が不機嫌そうに答えやがる。

「我々は北のノーリアから来た者。怪しい者じゃない。…俺はユーリス、そして俺の恋人のフィンリーだ。聖帝国ムーの星誕祭を見物に来ただけだったが、その途中でフィンリーがこいつらに絡まれたから倒しただけだ。」

 北のノーリア? 確かに二人の外見はノーリアの民達に良く出る特徴だな。…恋人が絡まれてこいつ等を倒したって言うのか。

(この男と恋人だと? ありえねぇだろう!)

 自分の中の気持ちが俺に反して暴れまくっている。不快なんてもんじゃない。落ち着くために大きく息を吸い込んで吐き出した。

「そうか、それは申し訳ない事をしたな。侘びと言っては何だが…どうだ? お前達にその気があるのなら、ムーで戦士にならないか? お前等のような強い奴等にこそ相応しいと思うが。」

 俺の提案に何故か二人ともとんでもないって言う顔をしていた。男は舌打ちをしながら答える。何だか腹の立つ奴だ。

「…せっかくの申し出ありがたいが、俺達はこの旅が終わったら、ノーリアで結婚する事になっている。その後は、ずっとこいつと二人でノーリアで暮らす事になるから無理だ。」

 それは衝撃的な一言だった。結婚? この二人が? 女の顔を見ると、その言葉が本当であるかのように見る見るうちに真っ赤になっていく。ノーリアで結婚したら、その後はノーリアの決まりで一生をノーリアで過ごさなければいけないと聞いた事はある。
そんな男と一緒にいて何を嬉しそうにしている。もう少しで声に出そうになった時、俺を正常に戻す声がした。

「セイクリッド様!」

 それは俺を追ってきた戦士達の声。そしてアーレスが配置した者達だった。そうだ、俺は何をトチ狂っていた? 始めて会った女に何を思っていた。ふっと息を吐き出し肩を竦めた。

「…そうか、そう言う話なら無理強いは出来ないな。二人きりの旅を台無しにしてしまったようで済まなかったな。ただ俺達の国は、こういう馬鹿ばかりじゃないと覚えていてくれないか。」
「…覚えていたらな。覚えていてやる。」

 その男は素っ気無くそう言うと、女の肩をしっかり抱きしめ、まるで自分のものだと言わんばかりに自分の方へ抱き寄せていた。…もしかして俺の不可解な気持ちがこいつに伝わったのか? 女がその男の行動に嬉しそうな顔をしているのを見ると、心臓を鷲掴みにされているような鈍く苦しい痛みが走る。

「これは…セイクリッド様が倒したのですか?」
「いや、ノーリアからの客人二人が、俺の到着前に倒してくれていた。」
「セイクリッド様、こいつ等どうします?」
「ふ…ん、聖戦士や聖天王の名を騙り好き勝手していた奴等だ。その罪状は余りあるだろう。牢にでも放り込んでおけ。気が付いたらたっぷりとこいつらに教育してやるさ。他の村や街でも捕まえているんだろうな。」
「はい、戦士の名を騙ったゴロツキ共を一網打尽にしています。」
「よし、判った。」

 戦士達の言葉にポキポキと指を鳴らした。俺の足元で「助けてくれ」と呻き声を上げている男の背中をギュッと踏みつけた。そう、俺の胸騒ぎは元々こいつらが発端にあった。無事で済むと思うなよ。

「覚悟しておけよ、てめえら…。」

 俺の言葉に女が一瞬苦笑したように思えた。ふと、二人がいたところに視線を送るが、既に二人の姿はなかった。騒ぎになりたくなくてその場を立ち去ったのか。
イシュクルの村人達が歓喜の声を上げていた。やっと平穏になると口々に言っている。

 

 

 その金星日の夜、俺はリュートルード宮にいた。バルコニーに寄りかかっていると、ふわふわと光が大地から浮き上がる光の絶景が始まっていた。

「…あぁ、今星日(こんせいび)はライベル・トゥーカが見られる刻だったのか。ジオとファグルの婚姻を祝福しての光の演舞なのか…それとも…。」

 不意にしなやかな白銀の髪を持ち漆黒の瞳を持つ、今星日に出会った女の姿が浮かんでいた。今頃この光景をあの男と一緒に見ているのだろうか。そう考えていた俺は、途端にギリリと唇を噛みしめ、不可解な胸の痛みに思わず胸をかきむしっていた自分。
どうしてここまであの女が気にかかる? 今までこんな事はありえなかった。他の女などどうでもいいはずだったのに何故だ。あの女を思うと血が逆流する。

 大きな溜息が吐き出すと、俺の背後に人の気配があった。振り返るとそれはアーレスだった。

「…セイクリッド様…? どうなされたのですか、珍しく溜息を何度もついてらっしゃいますが…。」

 まるで声をかけるのを躊躇っていたというようにアーレスが俺に話しかける。

「いや…ありえない幻影を見たような気がしただけだ…。」
「ありえない…ですか? 騙り者達を捕まえたと言うのに気分が優れないようですね…。」
「まぁな…。」

 俺の気のない返事にアーレスが、静かに言葉にする。

「もしかしたら…遥か未来で、出会う幻影だったのかもしれませんよ。」
「…は? 何を言っている…。」
「以前、空霊王のアルセリオンから聞いた事があります…。ある人を懐かしく思うのは、過去に出会ったからでなく、これから未来に出会うかもしれない…と。だからこそ懐かしいのだと…。」

 アーレスはまるで俺の心のざわめきを知っているかのように淡々と話す。

「そのありえない幻影も未来で出会うものだとすれば、納得もいくのではないでしょうか?」
「は…、この俺が、幻影に振り回されたってか…。」

 アーレスの言葉に思わず嘲笑しか出てこなかった。そんな俺を心配そうな顔で見ているアーレス。

「戦士の長であろうと、一人の光人ですよ…。迷いもあるでしょう。セイクリッド様が…その幻影にどのような思いを抱いたかは、判りませんが…それはセイクリッド様の思いであって、誰が邪魔する事も出来ないと思いますよ。」
「…フ、レグリアと同じ事を言うんだな。お前も…。」
「え? あ! も、申し訳ありませんでした…出過ぎた事を…。」
「いや、別に構わない…。俺の気鬱に付き合わせてしまって済まなかったな。下がっていいぞ。」
「で、ですが…。」
「…心配しなくていい。以前のように自棄(やけ)になって冥府に隠れたりしねぇから。ま、それをやった刻には、またお前のパンチが飛ぶだろうし、レグリアだって空から情けないと泣き喚くだろうし、それに再びそんな事をしようものなら、今度こそエリュクスに首を絞められるだろうからな、絶対にやらねぇよ。」

 俺の言葉にアーレスが汗をかきながら乾いた笑いを浮かべていた。

「お前は、自分の事を優先させろ。俺のお守りをしていたら、いつまで経っても自分の幸せは掴めないぜ? あのおてんばだって、お前の言葉を待っているんだろうからな。お互いの気持ちがすれ違わないうちにはっきりした方が良いぞ。俺達だって何時、どうなるか判らないんだからな。」

 俺の言葉にアーレスもハッとなっていた。

「…はい、ありがとうございます。これから伝えて来ます。」

 アーレスは、そう言うと俺に一礼してアスタロトの元に行った。苦笑を浮かべるしかない俺。
 レグリアか…。不意にレグリアの言葉が思い出される。

『…セイル兄様…、覚えておいて、ね。遥か未来で…私でも、エリーでもない…兄様の…守るべき人が、絶対に現れるんだよ…。兄様だけを待っている人が…。刻の砂が…そう教えてくれた、の…。だから悲しまないで…、泣かないで…。必ず…その人と会えるからね…。レグも、兄様が幸せになるように…祈っているから…。』

 レグリアの最後の言葉を思い出し握り拳を作り、柱を強かに殴りつけていた。俺の拳から血が滲んでいるが痛みなど感じなかった。

 

 

 そしてそれから暫くして、俺達に様々な出来事が次々に襲い掛かって来ていた。俺もその中に巻き込まれ、その事を封印したかのように思い出す事すらしなくなっていた。

 あの不可解な気持ちは一体なんだったのか。自分でも判らぬままに幾星霜もの刻が経っていた。

 

 

 柔らかな日差しの中、ふと目を開けた俺の真上には、俺が最も愛しいと思っている女の姿があった。彼女を見つめると彼女も俺に微笑みかける。俺の中に昔の思いが蘇る。

「あぁ…そうか、俺は遥か昔からお前の事をずっと思っていたんだ。道理で…ユーリスの姿が腹立たしかった訳だぜ。」

 俺の唐突な言葉に首を傾げるフィン。

「え? な、何?」
「俺が…お前に惚れ込んだ瞬間の事。星誕祭で初めてお前を見てから、ずっと気になっていた。…その気持ちも途中で封印しちまったが、今ならあの時の気持ちがわかる。」
「セイル、どうしたの? いきなり何を言い出すの?」

 俺は彼女に膝枕をしてもらっていた。そのまま自分の右手をあげてフィンの桜色の唇を指でなぞると、感じるのか瞳を閉じ顔を紅潮させ、その唇から甘い吐息を吐き出している。
思わず体を起こし、フィンの身体を抱きしめると柔らかく暖かな温もりが、俺を満たしてくれる。

「愛している…これまでも、そしてこれからも。だから、ずっと俺の傍にいてくれ…。」

 俺の言葉にフィンも俺の背中に腕を回してくれる。

「うん…あたしも…セイルが大好き…誰よりも愛している…。」

 そう、俺はやっと見つけられたのかもしれない。俺だけを思ってくれる俺だけの愛しい者を。遥か昔の星誕祭のあの瞬間から、ずっとこの日だけを待ち続けていたのかもしれない。
何時までもこのままでいられるためなら、俺は何を投げ打っても構わない。全てを捨て去ってもいい。お前だけを守っていく、お前と共に戦っていく。

――イシュクル村の幻影 END――

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