セイクリッドはエルミアの腕を掴んだまま、村の裏路地を足早に通り抜けて、森の中へと入っていく。森の中でようやくその足を止め、深い溜息を吐いていた。
エルミアもまた、急かされたままに足早に歩いていたせいか軽く息を切らしている。
「…ちくしょう、あの野郎共!」
いきなり毒づくセイクリッドにエルミアが、一瞬目を丸くしてセイクリッドを見つめていた。
「え…ユーリス…?」
エルミアの声に再び深い溜息を吐きながら、セイクリッドはエルミアを抱きしめていた。
「ど、どうしたの?」
「…あの阿呆共だけならまだしも、何だって
セイクリッドの言葉にエルミアがその腕の中で苦笑する。
「奴って…だって過去の貴方じゃない。どうしてそんなに怒らなきゃならないの。」
「…せっかく、フィンが楽しみにしていた事ををぶち壊したような感じがして…自分にもあいつ等にも腹を立てているだけだ。」
ぶっきらぼうに答えるセイクリッドに、エルミアの頬がパッと赤く染まる。その後ようやくエルミアは理解できた。きっと彼は、自分のいた世界とは、全く別の祭りであるこの華やかな星誕祭を自分に見せてくれようとしていたのだ。
そのセイクリッドのさり気無い心遣いが、エルミアには嬉しかった。自然に自分の腕を彼の背中に廻し、首を横に振り、そのまま抱きついていた。
そんなエルミアに驚いているのか、セイクリッドのエルミアを抱きしめている腕が小さく揺れる。
「そんな事ない…楽しかったもの。」
「フィン…。」
甘い風が2人の周りを吹き抜けていった。どちらからともなく顔を近付け、その唇が重なるかと思えた時であった。セイクリッドが、いきなりエルミアの肩をグッと握り締め、そのまま力任せに彼女の身体を自分から遠のける。
思いがけない突然の拒否にエルミアの瞳には、うっすらと涙が浮かび上がり、微かに身体を震わせ俯いてしまう。セイクリッドは、唇を軽く噛みながらポツンと呟いていた。
「わ、悪い…この姿でお前に手を出すって言うのは…俺自身、かなりの抵抗がある…。」
「…え…?」
意外な言葉にエルミアは、顔を上げてセイクリッドを見つめていた。セイクリッドは自分の顔を片手で覆いながら言葉を続けていた。
「いや…その、俺がこの姿だと、どうしてもフィンが他の男と抱き合っているようにしか思えなくて…。」
「え、だって…外見がどれだけ違ったとしても…貴方である事に代わりないのに…?」
「理屈では…充分すぎるほど判っているんだが、俺の感情が納得しねぇんだよ…。俺にもこの姿にも、そして、そんな姿の俺を受け入れるフィンにもとんでもなく腹が立ってくる。勿論それが、俺のやりようのない馬鹿げた嫉妬だってのも判っているんだけどな。」
小さく溜息を吐いて不貞腐れたかのようなセイクリッドの言葉、そしてその手で覆っている微かに見える彼の顔が、ほんの少し赤く染まっているように見えた。
セイクリッド本人でありながら、彼自身の外見が違うというだけで、他の男性に見立ててしまう屈折した想いは、一体何処から来るのだろうか。エルミアの口から思わず失笑が漏れていた。
「どうせ…俺の事、愚かな奴だと思ってるんだろう?」
エルミアに笑われて、むすっとした顔でそっぽを向くセイクリッド。エルミアはクスクス笑いながら、フワリとセイクリッドに抱きついていた。セイクリッドはその咄嗟のエルミアの行動に目を丸くしている。
「あたしね…ずっと貴方の事、非の打ち所のない完璧な男性だと思っていたの。あたしには分不相応で、あたしは貴方には不釣合いだって…ずっと思っていたのよ…。」
「おい、フィン!」
セイクリッドの語尾が強くなる。エルミアはそんなセイクリッドをさっきよりも強い力を込めて抱きしめながら、その言葉を続けていた。
「怒らないで聞いて! でも…違うんだって今判ったの。あたしと同じように…相手にどうしたらいいのか判らなくて、迷う事もある一人の人間なんだって。貴方も怒ったり笑ったり、悲しんだりする一人の男性なのよね。あたし…そんな貴方が、セイルが好き…。誰よりも何よりも…。」
エルミアがセイクリッドを抱きしめながら呟いた言葉に、ビクンとセイクリッドの身体が硬直する。全身が彼自身、止めようがないほど微かに震えていた。
逆の立場であるなら…エルミアが恐怖や哀しみで、全身を震わせているものならば、その震えを止める手立てはいくらでもある。どんな事をしても彼女の震えを納めるだけの自信はあった。でも今震えているのは、エルミアではなくセイクリッド自身なのだ。震えを止める術を見つけられず、そんな自分の状態をどうしていいのか判らず戸惑っていた。
不意に告げられた甘く暖かで優しい想い。そして、自分にはもう遠くにあると思われていた華奢でありながら確実な温もりが、自分の傍にある。けれど、今自分が何かを言ってしまったら、その温もりすら幻になりかねない。そんな不安がセイクリッドを襲っていたのだ。
彼の不安を知ってか知らずか、エルミアの暖かな腕がセイクリッドを抱きしめている。セイクリッドは、震える手でその身体をそっと抱きしめ返した。その腕の中には、幻ではなく確実に温もりが息づいている。
それはセイクリッドが、遥か過去に受けた塞ぎようのなかった大きな傷が、その小さな温もりによって埋め尽くされ覆われて、更には癒されていくもの。今まで疼いていた痛みは潮が引くように失われ、代わりに愛しいと思う気持ちだけが、満ちてきていた。
「…フィ…ン…。本当に…?」
セイクリッドの言葉にエルミアがゆっくりと顔を上げる。エルミアのその瞳は、彼女の言った言葉を信じてもらえなくて微かに傷ついている様子だった。
「嘘なんて言わない…あたし…好きでもない人に好きって言えるほど器用じゃない…。本当にセイルが好きなの。何時の日か…貴方が、あたしから離れてしまうだろうと判ってる…。それでも貴方が好き…。」
エルミアの瞳から一筋の涙が零れ落ちる。その涙が、セイクリッドの姿代えの
「どんな姿をしていても、セイルの事好きよ。あたしにとって…愛している男性は…貴方だけなの。それがあたしにとっては、
「…違…う。それは…。」
「え…?」
言いかけた言葉を遮り、エルミアの身体を強く抱きしめるセイクリッド。自分の動揺を隠すためではなく、ただエルミアの温もりを求めての行動であった。エルミアもまたセイクリッドの背中に手を廻したまま、抱きしめられていた。
「…離れて行くなってのは…俺の方が言いたい…。それを言ったら…お前が消えてしまいそうだった。頼むから…お前だけは…俺の手から離れて行かないでくれ。俺にとって…いや、俺の方がお前を失う事に絶えられない。お前の温もりを…絶対に失いたくない…。お前を…フィンを愛している…。
お前が…俺の腕の中に残ってくれると言うなら、他の何を失っても、犠牲にしても構わない。俺にとっては、フィンだけが大切で…何にも変えられない存在なんだ…。」
セイクリッドの胸の中で、エルミアがあっと息を飲み込む。セイクリッドからの告白と共に涙が止め処なく零れ落ちてきていた。確かにセイクリッドもエルミアもお互いを想いあっていた。けれど…お互いに何かが歯止めとなり、思いを告げる単純な言葉を告げてはいなかったのだ。
似たような言葉を言った事もある、そして2人とも態度には、そこかしこに出していたが、その想いを口に出していなかったのだ。言葉にするとお互いが消えてしまいそうで…。
そして2人は抱き合ったままで小さな異変に気が付いていなかった。いや、異変と呼べない小さな出来事。2人がお互いの思いを言葉にした事によって、柔らかな色の光がエルミアの左腕にあるアームレットを撫でていた。そしてその光は音もなくアームレットの中に消えていたのだ。
そんな2人の周りで眩いばかりの光が輝き弾けていた。ハッと我に返ったセイクリッドとエルミア。光があちこちに屈折し、星の律動と共に煌きを増す。それは何かを祝福しているかのようであった。その余りの美しさに声を出す事も適わず、ただセイクリッドの腕の中で呆然とその様子を見つめているエルミア。
「…そうだ…思い出した。この光、この刻の星誕際は…ファグルとジオの婚姻でもあったんだ。このまま手をこまねいていたら手掛かりが消えちまう!」
セイクリッドの呟きに聞き覚えのある名前が、エルミアの耳にも届いていた。ファグルとは、ロドリグスが、セイクリッドとの心話の中で話していた人物であり、ジオとはついこの間逢った地霊王の事。聖霊同士が婚姻を結ぶ。それがどういう意味を持っているのか理解できないエルミア。
「フィン、ファグルを探すのに跳ぶぞ。」
セイクリッドはいきなりそう言うと、エルミアを抱きかかえたまま空間転移をする。突然の出来事にエルミアは、振り落とされないようにセイクリッドにしっかり掴まっていた。
この世界に来た時と同様に、耳障りな摩擦音がエルミアを襲い、それが彼女の脳を刺激する。どんなに耳を塞ごうとその音は、消しきる事は出来なかった。
セイクリッドの手が、エルミアの両耳を塞ぐかのように添えられる。それと共にほんの少しだけ耳障りな音が遮断され、安堵の溜息を吐けるようになる。
目の前に眩しい光が広がっていた。思わず目を硬く瞑ったエルミア。突然セイクリッドの飛翔の超常力が弱まったかと思うと、大きな音が響いてその空間が徐々に閉じられていく。
「…ちっ…!」
その異常に気が付いたセイクリッドは、エルミアを抱えたまま手近の空間へ飛び込む。それと同時に空間がエルミアとセイクリッドを拒否するかのごとく、凄まじい音を立てて崩れ去っていく。
なんとか、その崩壊の中から逃れた2人は、大地に辿り着いていた。
安堵の溜息を吐くセイクリッドにエルミアが尋ねる。
「ど、どうなってるの…? 何が起こったの…。」
「あぁ、俺の飛翔や空間転移がこの世界に拒否されただけだ。」
事も無げにあっさりと言い除けるセイクリッドに、エルミアは言葉もなく呆然としてしまった。
「それって…貴方の超常力が発揮されないって言う事…になるの?」
エルミアの質問に苦笑するしかないセイクリッド。エルミアの質問は、ある意味当たっているようでいて当たっていないからである。
「まぁ…単純に言っちまえばそうなるか。この時代に俺と言う人間が、2人いるんだから…それも仕方ねぇ事だな。発揮されないんじゃなくて、今の俺の超常力が拒否された…と言った方が聞こえはいいかな?」
「セイルの超常力が拒否された? …それって貴方にメチャクチャ負担が架かるって言う事じゃない。単純な事なんかじゃないわ!」
エルミアの指摘に一瞬驚いたような顔をして、再び苦笑した後小さく溜息を吐く。
「…ったく、お前の勘は鋭いよな。最も…そういう所も、俺がお前に惚れ込んだ理由の一つなんだが…。」
セイクリッドがさらっと言った言葉にエルミアの顔が、仄かに赤く染まる。
ふと、エルミアの耳に風の歌声が聞こえてきた。不思議そうな顔をして周りを見渡すと、光がエルミアとセイルの周りで、一つ二つと舞い降りてくる。そしてその光が舞い降りてくる数は、次第に無数になっていった。
「…綺麗…。」
思わずエルミアが、その光が舞い降りてくる姿を見てそう呟いていた。セイクリッドは、苦笑を浮かべながら、微かに諦めに似たような溜息を吐いている。
「鬼が出るか…蛇が出るか。わざわざ探さなくても良かったって事か…。」
「え、何? 今何て言ったの…セイル。」
エルミアの口から洩れた言葉にセイクリッドが思わず彼女の口を塞いでいた。突然のセイクリッドの行動に驚いているエルミア。
【セイクリッドだと…?】
微かな声が、辺りに響き渡っていた。それは人間の声と言うよりは、聖霊のそれに近かった。エルミアにとって、慣れ親しんだ声ではないが、どこかで聞き覚えのあるもの。
口を塞がれたまま、セイクリッドの顔を見上げているエルミア。セイクリッドは、一瞬エルミアの瞳を見つめ唇の端に笑みを浮かべていたが、その後は真面目な顔で、ある一点を見つめている。
【…
威厳のある容赦のない声。それは紛れも無く、先日出会った聖霊王の一人、地霊王ジオの声であった。エルミアは思わずそれを認識すると、ゴクリと息を飲み込んでいた。
セイクリッドは、エルミアの驚きに気が付き空いている手で、ポンと軽く彼女の肩を叩く。その仕草にエルミアが小さく頷くと、セイクリッドはエルミアの口から手を離す。
地霊王ジオの姿が、大地からフワリと吹き上がった陽炎の中にはっきりと見えるようになっていた。
【そこなる痴れ者共よ。とっとと消え失せるが良い。】
それは威圧に満ちたものであった。思わずエルミアの身体が竦み上がる。セイクリッドは、そんなエルミアを自分の横に立たせながら、地霊王ジオに向かって優雅に礼をする。そんなセイクリッドの姿にエルミアの眼は、彼に釘付けになっていた。
「地霊王ジオよ。貴方方のめでたき婚儀の日、我等が光人がお目汚しとなる事をどうか許されよ。火急の用事にて…今一度、結実王たるファグルとお会いしたく、ここまで参上した次第であります。」
流暢に
【…セイクリッドの名を騙り、姿を映した痴れ者よ。
感情のこもらない言葉が、再びエルミアの全身を震撼させていた。聖霊はもともと感情が希薄であるが、この地霊王ジオは、他の聖霊達に比べようが無いほどに、人に関して無関心である。
このままでは、超常力の発揮されないセイクリッドは、本当に排斥されてしまう。そう思った瞬間にエルミアの腕がセイクリッドを庇っていた。
地霊王ジオの冷ややかな視線が、エルミアに突き刺さる。ゾクリと背筋に悪寒を走らせるエルミア。
【光人でも無き戯け者が…。そのような醜い姿を我等が前に出すでない。】
すぅっとジオの指が上がったかと思うと、エルミアに対して凄まじい超常力が放たれていた。
「あ…!」
「ば、馬鹿!」
ほんの一瞬であった。エルミアはそのジオの超常力に目を硬く
そんな2人の杞憂の前にジオの放った超常力は、エルミアとセイクリッドの直前で直角に曲がり、遥か前方で霧散していた。その不可解さに眉をひそめる地霊王ジオ。
【私を綺麗だと…言ってくれたヒトを消滅させる気?】
【全く…ジオのヒト嫌いは凄まじいものがありますね。】
セイクリッドとエルミアの前には光のヴェールを纏った聖霊が音も無く立ち塞がっていた。ニッコリと笑みを浮かべ、エルミアを振り返る。
呆然としているエルミア、安堵の溜息を吐いているセイクリッド。
【…? セイクリッドではあるけれど、セイクリッドではないのね。どうして私を探していたのかしら?】
「ファグル…。」
セイクリッドが小さく呟く。二人を助けてくれた聖霊は、女性体型をしていた。が、エルミアにとっては初めて見る聖霊であった。
【セイクリッドであってセイクリッドではない? ではこの者は何者か? 何より…我等が婚儀を邪魔した愚か者達ぞ。】
ジオが冷たく言い放つ。2人を庇ってくれた聖霊は、そんなジオに笑みを浮かべる。
【愚か者であれ、何であれ、私を綺麗だと言ってくれた者に対して、危害を加える事は私が認めませんよ。それに…環を求める者なら尚の事ですわ。少しの間、この者達と話をする時間をくださいな。ヒトが私を訪ねるなど、これが最後でしょうから。それに…この者達と話す事は、私が受けた
ファグルの申し出に不快そうな顔をしながらも、待つ事にした地霊王ジオ。そして、ファグルの言葉に驚いているエルミアとセイクリッド。
「え!?」
「どうして…それが。」
聖霊の言葉にエルミアとセイクリッドは思わず絶句する。女性型をしている聖霊、ファグルはそんな2人に微笑を返す。
【…この世界の光人であるセイクリッドならば、私達の愛しい創世の娘と共にいるはずですもの。でも今貴方は、創世の娘ではなくヒトを連れて歩いている。そして
乾いたような笑みを浮かべ、ほんの一瞬脱力したかと思うと、セイクリッドは改めてファグルの方を向き直った。
「判っているなら、話は早い。ファグル…環の場所を教えてもらえないだろうか。どうしても…俺達にはそれが必要なんだ。」
【…俺達、ではなくそのヒトにとって必要なのでしょう。言葉はしっかり使いましょうね。それでもこの世界のセイクリッドと比べたら、私達に対する言葉遣いも考えているようね。そう考えたら少しは貴方も、成長しているのかしらね。】
「ファグル、茶化さないで教えてくれないか。この通りだ、頼む。」
セイクリッドはそう言うと、深々と頭を下げていた。そんな彼の様子にエルミアだけでなく、その場に居合わせた聖霊達すらも息を潜めている。
【…残念だけど貴方には教える事は出来ないわ。】
思ってもいない冷たい反応にセイクリッドが思わず顔を上げる。隣に立っているエルミアも真っ青になっていた。
「俺が…ジオとファグルの婚儀を邪魔したからか?」
怒りを抑えようとセイクリッドの声が震えていた。もしもこの場にエルミアがいなければ、聖霊達に剣を向けていたかもしれない。不安そうにセイクリッドを見つめているエルミアの手が、セイクリッドの腕に触れていた。その暖かな温もりに必死に怒りを抑えていたのである。
【まぁ、それもあるけれど…貴方には教える事は不可能なの。例え教えても、光人である貴方には、絶対に見つけられないものですもの。】
ファグルの含んだような言葉にエルミアがハッとなり、ファグルを見つめていた。ファグルもまたエルミアの視線に気が付いたのか、彼女を見つめ返していた。視線があうとファグルはニッコリと微笑んでいた。
【…今星日に私を綺麗と言ってくれたヒトの子よ。貴女の名前は?】
「エ、エルミア・フィンリー・ライバート…です。」
エルミアの返答に少し考えたあと、ニコリと微笑むファグル。
【そう、環を必要としているのは貴女なのね。…環は、刻を超え空間を超えて、様々な場所で貴女を待っているわ。それは見えるものであり見えざるもの。求めれば手をすり抜けてしまう儚いもの。けれど確実に貴女の元に集まるでしょう。でも待っていても集まらない。貴女はそれを探し当てなければならないの。
場所はどこにあるか、それこそ定かではないの。その場所で決まって見つけられる訳ではないわ。探すのは容易ではないわよ。それでも構わない?】
ファグルの言葉にコクンと頷くエルミア。ファグルはエルミアの瞳を覗き込み、決意にも似た強い輝きを見出していた。
「…人としての自分の宿命を受け入れ、ただ運命に翻弄され続けないために…。そしてセイルと生きていける自分のために、環を求めているんです。例え…どんな苦労をしようと見つけ出すつもりです。セイルと共に歩いて行きたいから。」
エルミアは自分の言った事にあっと小さく驚いていた。ここに来る前に聖霊ラーディスに言った言葉と同じだったのだ。あの時の既視感はこれだったのだろうか。小さな戸惑いに揺れているエルミアに微笑を浮かべるファグル。
【ヒトの子よ、環ではないけれどこれを持ってお行きなさい。】
ファグルはそう言うと、エルミアの手のひらに丸い木の実を渡した。突然の事で驚いた顔をするエルミア。怪訝そうな顔をするセイクリッド。
「こ、これは?」
戸惑っているエルミアにファグルが微笑みながら答えてくれる。
【聖霊の結実王たる私からのお礼です。ヒトの子よ、貴女は、ヒトには見えないはずのルシリスのヴェールに包まれた私を綺麗と言ってくれたから。貴女が使うのも良し、セイクリッドに使うも良し、それは任せます。ジオの元で貴女の行く先を見ています。】
「あ、ありがとうございます…。」
【それと…。】
最後にクスクス笑いながらファグルがエルミアに何かを耳打ちしていた。それは他の聖霊にもセイクリッドにも聞こえないものであった。ファグルの言葉にエルミアの頬が、一瞬にして赤く染まる。
ファグルは、そんなエルミアにニッコリと微笑んでジオの元に歩いていく。ジオが待ちかねたかのようにファグルの手をとるとその場は、様々な光に包まれた。それは強烈なものであった。
その眩さに思わず目を瞑るエルミア。そんなエルミアの眼をそっと覆い隠していたのは、セイクリッドの大きな手であった。
「セイル?」
「この光に人間は耐えられないからな。そのまま目を瞑っていろ。ここから離れる。これ以上、聖霊の婚儀を邪魔する訳にはいかねぇからな。」
セイクリッドの言葉に眼を覆い隠されながら、頷くエルミア。ふわりとセイクリッドに抱きかかえられたかと思うと、眼の奥に残る痛いほどの強烈な光が和らいできていた。
聖霊達の婚儀の場から、離れているのだろう。セイクリッドはエルミアを抱えながらその場から離れるために、全速力で走っていたのだ。
どのぐらい離れたのか、眼の奥には先程の強烈な光は、エルミアにはもう感じられなかった。
「もう眼を開けてもいいぜ?」
セイクリッドの声にエルミアがゆっくりと瞼を開ける。そこはこの世界に来た刻に降り立った草原であった。
そして、エルミアをじっと見つめているセイクリッドと視線が合う。ドキッと心臓が飛び跳ね、思わず目を逸らすエルミア。そんな彼女にセイクリッドは、小さな溜息を吐いていた。
「ファグルに何を言われた?」
「え? 別に…。セイルだって聞いてたじゃない。」
「あいつが最後にお前に何かを言っていただろうが。何を言われたわけでもねぇってのに、真っ赤になるか?」
「な、何でもないわ。」
エルミアは再び真っ赤になってその声は上擦っており、とても何でもないようには見えなかった。エルミアの態度に憮然とした表情のセイクリッドだったが、再び溜息を吐きエルミアをゆっくりと大地に下ろす。
「…ったく、環の手掛かりがあると思いきや、聖霊共が揃いも揃って同じ事を言いやがる。もっと判りやすいように言ってくれりゃ良いものを…。」
話を変えるかのように、セイクリッドが呟いている。
「…ねぇセイル? 光人と呼ばれる貴方達と、あたし達人間との違いって…寿命がある事よね。」
「ん? 何なんだいきなり…。」
エルミアはファグルの言った事を思い出しながら、言葉を続けていた。
「光人には絶対に見つけられないけれど、普通の人間になら見つける事は可能って事は、寿命が関係しているから? 光人ってもしかしてその環を最初から持っているんじゃないかな。」
「は? 何を言い出すんだよ、フィン?」
エルミアの突拍子もない考えにセイクリッドは眼を丸くして驚いていた。
「うん、突拍子もない事を言っているなって自分でも思うんだけどね…。カザマはただ『環と輪と和』って教えてくれたけれど、それって本当に形を成しているのかな。心話でロドが言ってたでしょ? それは人の寿命を延ばすためのものだって…。でも、貴方達は見た事がない。それにファグルが教えてくれた求めれば手をすり抜けてしまう儚いものって、何を指しているんだろうって思ったら…。」
「ふ…む、まぁ確かにな…。けどあいつ等は、はっきりとした事はいつも言わないぜ。最も嘘だけは言わないがな。何かを掴みかけたのか?」
「…判らない…けど、環は誰にでも見つけられるものなのかなって思っちゃって…。」
「それは…なんとも言えねぇな。誰でも彼でも見つけ出せるものならば、世界は大いに混乱するだろうが…。」
「うん…。」
世界に混乱をきたすものであり、誰もが望んでも得られないもの。環と言うのはどう言うものなのだろう。ぼんやりと考えていたエルミアの耳にセイクリッドの声が響く。
「聖霊達の元に行ってかなり時間が経ってたようだな。間に合わなくなる、そろそろ行くぞフィン。」
「え? どこへ…。」
エルミアの返答に呆れたような顔をしているセイクリッド。
「お前が最初に言った事だろうが。もう忘れちまったのか。」
過去の聖帝国ムー、ここに来た理由? その理由を考えていたエルミアは「あっ!」と大きな声を出した。一度に色んな事がありすぎて、最初の目的を忘れていたのだ。そんなエルミアに再び呆れたような顔をするセイクリッド。
「お前なぁ…。」
「わ、忘れていた訳じゃないわよ! 色んな事が一遍に起こりすぎて、思考が追いつかなかったんだもの…。」
上目遣いに自分を睨んでくるエルミアに苦笑を浮かべるセイクリッド。
「中に入る事は…出来ないと思う。外から見るだけになるが、それで勘弁してくれな。」
セイクリッドの言葉にエルミアが小さく頷いた。
「この世界を出るまでは、俺の超常力も使えねぇだろうな。まぁ、でも歩きだけで充分間に合うはずだ。」
付いて来いと言う様に、セイクリッドがエルミアを促す。エルミアもまたセイクリッドの後を追って歩き出した。空を見上げると、自分達が来た時の空よりも夕暮れのそれに近かった。
太陽は地平線に傾き始め、柔らかな光から残光のようなオレンジ色の光が、辺りを照らし出す。
「ここって、本当に綺麗ね…何もかもが信じられないほどに。」
辺りを見回しながらポツリと呟いたエルミアにセイクリッドが唇の端に笑みを浮かべる。
「どんな奴の目にも、過去ってのは…綺麗に見えるらしいぜ。」
セイクリッドの言葉に一瞬首を傾げて、その背中を見つめているエルミア。表情が見えないからセイクリッドがどんな気持ちでそれを言ったのかは、エルミアには判らなかった。
まるで人事のように言い切ったセイクリッド。では、彼自身はどう思っているのだろう。ここは過去の聖帝国ムー。セイクリッドが生きていた世界。懐かしいとか思わないのだろうか…複雑な思いを胸に、セイクリッドの背中を追っていくエルミアであった。