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光と風の環 <始まりの刻>

著者:真悠
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 セイクリッドがエルミアの居る部屋へ戻ると、そこには既にサラーナを着たエルミアの姿があった。彼の姿を見かけるなり、エルミアが俯いてしまう。セイクリッドにしても、なんとなく居心地が悪いのか、頭をカリカリと掻いてエルミアから視線を逸らしていた。

「……え、と…このサラーナ…ありがとう……。」

 エルミアのはにかんだような言葉に、セイクリッドはエルミアの方をゆっくりと見つめる。顔を上げたエルミアと視線が絡む。

「別に礼を言われるほどのものじゃないし…俺が着られるものでもねぇだろうが。」

 セイクリッドの言葉にエルミアの口からクスッと笑みがこぼれていた。その笑みに怪訝そうな顔をするセイクリッド。

「何がおかしいんだ?」
「あ、深い意味はないの…。ただ、セイルでも、照れる事なんてあるんだなぁと思ったら、なんとなく嬉しくなっちゃって。」
「…はぁ? …フィン、お前なぁ。一体俺の事をどんな風なイメージで見てるんだよ!」

 呆れたような不貞腐れたような言葉が、セイクリッドから漏れていた。その後にガリガリと頭を掻いていたが、ふと何かに気が付いたような顔をしていた。
自分の周りに感じる自分の超常力(ちから)。先程までは、それは本当に遠いものだった。彼にとって、戒めの時期なのだから、当たり前だと思っていた。
ラーディスから借り受けたはずのセーナが消え、今は確実に自分の超常力が息づいている。

 エルミアは、セイクリッドが突然真剣な顔をして、何かを考えているのに気が付き、心配そうな顔でセイクリッドを見つめていた。エルミアには、セイクリッドのその戸惑いが何故なのか、判っていなかったのだ。

「どう…したの? セイル…。」

 躊躇(ためら)いがちにセイクリッドに声をかけるエルミア。セイクリッドは、小さく肩を竦めるとエルミアに向かってパチンと指を鳴らしていた。その途端エルミアの身体が、フワリと浮き上がる。それは、息が止まるかと思うぐらいにエルミアを驚かせた。

「な、何? 何が…!」

 エルミアの身体は、セイクリッドに引き寄せられるようにその腕の中に納まっていた。突然、自分の身体が浮き上がり、セイクリッドの腕の中に居るのだから驚愕は、隠し切れないだろう。
何が起こったのか、エルミアはまだ理解していなかった。

「やっぱり…。」
「な、何がやっぱりなのよ。下ろしてよ…それにどうしていきなり、あたしの身体が浮いて…貴方の腕の中に居る訳?」

 エルミアの言葉に微かに笑みを浮かべるセイクリッド。その後名残惜しそうではあるが、大切なものをそっと置くかのようにエルミアを床の上に立たせた。
ホッとした顔つきをするエルミア。

「俺にも良く判らねぇが…月の運行と惑星直列によっての戒めの刻が、終わってる。俺の超常力(マーナ)が戻っているんだ。刻が…進んだとしか思えないが…。」

 セイクリッド自身も戸惑っている様子で、考え込んでいた。

「…それってこの城にいるから…とかではないの?」
「いや…それはあり得ない。俺の城にいようが、この中でも刻は、外界と同じように流れているからな。俺自身が、知らないうちに刻が進む事はない。…まさかあのクリスタルの……。」
「クリスタル…って、綺麗な七色の光に輝いていたもの…よね?」

 エルミアの言葉にサッと顔色を変えるセイクリッド。

「お前…あれを見たのか?」
「え? う、うん…ほんの一瞬…だったけれど…。あたしが…目覚めた時に…。」

 エルミアは、その続きを言うのを躊躇っていた。セイクリッドの複雑な表情に、もしかして自分は、見てはいけないものを見てしまったのではないだろうかと言う不安が襲ってくる。
再びセイクリッドが何かを考え込んでいた。彼の考えがエルミアには、判らないからこそ、より一層不安が募る。

「…そう…か、あれを見ていたのか…。フィン、お前気絶している間の事を…それと…お前の精神が何処にいたかを覚えているか?」
「え…。」

 セイクリッドの質問にエルミアの脳裏には、紺色のセミロングの長さの髪を持ち、華やかな金色の瞳を持った少女の事が、唐突に思い浮かんだ。大人びた口調をしていた少女の言っていた事が、はっきりと思い出される。躊躇いながら頷くエルミア。

「確か…刻の狭間だったと思う。あたしは…器用にもそこに落ち込んだんだって、紺色の髪の少女が教えてくれたわ…。」
「刻の…狭間だと? 冥府でなく…あそこに落ちたって言うのか!?」

 セイクリッドの驚きにエルミアはビクッと身体を硬直させながら、恐る恐る頷いていた。セイクリッドは、それを聞いて片手で顔を覆い深い溜息を吐き出した後、不安そうな顔をしているエルミアの腕を引っ張り、抱き寄せていた。
エルミアはセイクリッドの突然の行動に目を丸くして言葉もなく、ただ抱きしめられているままであった。少しだけ早く聞こえるセイクリッドの心臓の音。そして自分の早く打つ鼓動を感じていた。

「…刻の狭間に落ちて…良く無事に戻ってこれたな……。いや…戻してくれたのか…。」

 セイクリッドはエルミアを抱きしめたまま、何かを知っているかのように苦笑しながら呟いていた。エルミアも頷いている。

「…うん、紺色の髪の……ううん、あたしが最後に見た姿は……。」

 エルミアの言葉は最後まで紡がれずに、彼女の唇に当てられたセイクリッドの指によって押し留められていた。エルミアは息と共に言葉を飲み込んでいた。

「言わなくても良い。俺にとってお前が、無事に戻って来てくれたって事だけで良いんだ。」

 セイクリッドはそう言った後に、集中したかと思うと両手から淡い光の球を出していた。エルミアはその様子を見ていたが、何をしているのか判らずに、セイクリッドに尋ねていた。

「セイル…それは何?」
「ん? あぁ、まぁ見てろ。」

 フワリと二つの淡い光の球が、セイクリッドの目線に浮かび上がった。エルミアはそれを不思議そうな顔をして見上げていた。

「…おい、聞こえるか?」

 セイクリッドは誰かに話しかけるかのように、その光の球に向かって声を出していた。二つの光の球の中には、朧気ながら何かが映し出される。

『…セ、セイル? 本当にお前なのか?』
『お…前、無事だったのか!』

 その光の球から2人の声が同時に聞こえる。エルミアはあっと息を飲み込んでいた。その声は聞き覚えがあった。つい数ヶ月前まで、共に旅をしてきた人物の声である。どうして、その人物の声が聞こえるのか。
セイクリッドは、エルミアに笑みを浮かべて答えてくれた。

「これは、心話だよ。いつもはこんな事しないんだがな、フィンにも聞こえるように媒介を作った。聞こえるだろう? お前にも。」

 セイクリッドの言葉にエルミアは頷きながら唖然となっていた。心話と言う存在は聞いた事がある。人の心と心での会話。今の時代でそれが出来るのは、星巫女達や、訓練を積んだ者達だけである。
エルミア自身は、心話を受け取る能力はなかった。そんな自分にすら聞こえるようにと、媒介まで作り心話を聞かせるなんて、どれだけの超常力をこのセイクリッドは持っているんだろう。

『え? 何だって?』
『何をしてるんだ? セイル、お前は。』

 ぼんやりと感心していたエルミアの耳に再び、2人の声が聞こえる。

「あぁ、こっちの話だよ。お前らに聞きたい事があってな。」
『お前…今まで俺達からの心話を一切無視しておきながら、それはないだろう。』
『……それより、良く無事だったな。あの戒めの刻を…。』
「ふ…ん。俺もそうだが、お前らだって同じだったろうが。」

 セイクリッドの言葉と共に淡い光の球に2人の人物の姿が、浮かび上がってきていた。一人は金髪にスカイブルーの瞳を持つ男性、そしてもう一人は、漆黒の長い髪に紫のような蒼い瞳を持つ男性。その2人ともエルミアは良く覚えている。
セイクリッドと同様、創世の光を持つ者。三勇者のうちの2人、セロルナとロドリグスであった。

『あのな! 俺やロドと、お前の場合は比べようがないだろう。惑星直列、そして新月が殆ど続いていたようなものだろうが! どれだけ心配したと思ってるんだよ。』
「へぇ? 心配してたんだ、そりゃ悪かったな。」

 金髪の男性セロルナの言葉に、セイクリッドがけろっとしたように答える。だが、その言い方は本当に悪いとは思っていないようである。

『お前、今何処にいるんだ? あの時期、奴が蠢いていたはずだぞ。』
「ふん…って事は、やっぱり戒めの刻が終わっていたという事か。あの中で刻が進んでいたんだな…。」
『答えになっていない! 真面目に答えろ。セロルナじゃないが、俺達がどれだけ心配していたか判らんのか。』
「無事だから心話を送っているってのが判らねぇほど、お前らの感覚は弱ったのか? それに…俺の事を心配してた…ねぇ、てめぇらにだけは言われたかないぜ。」

 漆黒の髪の男性ロドリグスに対しても、素っ気ない返答をするセイクリッドに、エルミアはつい噴出して笑ってしまった。セイクリッドは、そんなエルミアを軽く睨み付け、その頭を小突いていた。上目遣いでセイクリッドを見ているエルミア。そんな彼女を見ながら、喉の奥でクスッと笑っているセイクリッド。

『笑い声? 俺達の心話の間に誰か入って来ているのか? そんな事ありえないはずだが…。』

 セロルナの声が怪訝そうなものになっていた。

「あぁ、媒介作ってフィンにも聞こえるようにしているからな。フィンの声もお前らに聞こえるかも知れんな。」
『媒介って…媒介を作るぐらいなら、直接心話を送った方が早いだろうに…。』
『エルミアに聞かせるためだけにか。全くお前らしいな…。』
「はん、何とでも言え…それより俺が聞きたいのは、10の環、5の輪、5の和の事だ。知っているか? カザマを初めとする聖霊達から示唆されたんだが、俺にはそれらが何処にあるか、全く見当がつかないんだ。創世の刻では…俺には必要なかったものだったからな。」

 セイクリッドの言葉にエルミアが笑うのをやめて、セイクリッドの方に顔を向ける。セイクリッドはそんなエルミアを射るような瞳で見つめていた。

『何故だ? …と聞くのは愚問か。エルミアのために…か。』
「…それ以外に何がある。」
『ん? 環の数が増えてないか? 確か…創世の刻では、10の環だけだったと思うが…。』
「10の環だけだっただと? …セロルナお前、それは何処で手に入れた? どれか一つだけでも良い、思い出してくれないか。とにかく今は手掛かりが欲しい。」

 セイクリッドの質問にセロルナが少しだけ沈黙していた。

『いや…それが、俺は殆ど関わっていなくて、彼女が探し出していたんだけど…何処で見つけたかは判らなくて…。』
「…何処で見つけたかとも聞かなかったのか?」
『あぁ、悪いが…聞いていない。』
「そう…か。」
『…セイル、その環を集めるのに何故一つだけでも良いと言う? それは確か人の命を延ばすためのものだろう。全ての数が揃わないと意味がないはずだが。』

 セロルナとロドリグスの言葉にセイクリッドの表情が憮然となる。そんな彼を不安げに見つめているエルミア。セイクリッドは小さく溜息を吐いた。

「セ…セイル…。」

 エルミアが不安げにセイクリッドに声をかける。セイクリッドはそんなエルミアをそっと抱き寄せていた。エルミアはただセイクリッドの顔を見つめているばかりであった。カザマが示唆した環の事は、命を延ばすことを意味しているのか。
それは、エルミアが初めて聞く事であった。そんなエルミアの不安や困惑を落ち着かせるためにも、セイクリッドの腕に力がこもる。セイクリッドの腕の中で、エルミアが安堵の息を漏らしていた。

「全て揃えるのは、後々ゆっくりと出来る。だがそれが今、どうしてもどれか一つだけ必要なんだよ。フィンの事で…急を要するんでね。」
『…エルミアの事で何かあったんだな? ありえないとは思うが…奴が封印の中からエルミアを呼んでいるとでも言うのか?』

 セロルナの質問にセイクリッドは答えなかった。

『それが…環の中のどれか一つが必要だと、どう繋がっているんだ? 俺達にはそれを聞く権利はあるぞ。特に…奴が関わっていると言うのなら尚の事だ。』

 ロドリグスが突っ込んで聞き返す。セイクリッドは諦めたかのように説明した。

「…フィンの夢にちょっかいをかけてきているんだよ。おかげでこいつは、安心して眠る事が出来ない…その環の中のどれか一つでも手に入れる事が出来たら、奴がかけているフィンへの干渉を止める事が出来ると、聖霊共が教えてくれたからな。」
『チッ…全く諦めの悪い奴だ。』
『無駄な足掻きをまだやってるのか…。』

 光の球から2人の舌打ちが聞こえてくる。それは、封印されても尚、復活を目論んでいる飽くなき野望を持つ者に対してだった。ふと、ロドリグスが何かを思い出したかのようにポツンと呟いていた。

『…今は…存在しないが、聖霊のファグルやエアなら何か知っていたかもな。』
「ファグルとエア? そうか…あいつらなら、人とも身近に接していたな。そりゃ…好都合。」
『好都合って…おい、セイル。だからと言って、今のこの世では、あの2人はいないんだぞ。一体どうするつもりなんだ。』

 セロルナの声が少し慌てていた。ロドリグスもまた不審に思ったのかセイクリッドに尋ねてくる。

『お前、まさかとは思うが、世界のバランスを崩すつもりじゃないだろうな。』
「は…まさか。そんな事してフィンのいる世界を滅ぼすつもりはねぇ。むしろ逆だぜ。不要なものを星や宇宙に返して、生じた歪みを(ただ)すつもりだよ。それでお前らも安心出来るだろうな。」
『え!』
『お前…!』
「あのなぁ…いい加減お前らだって、俺の機嫌を伺うのは疲れるだけだろうが。俺も、お前らの悔恨や負い目なんぞ、もういらねぇよ…うっとおしいだけだ。過去は過去だろう。それをそんなに気にして、今更戻るものでもないだろうが。今…俺にとって必要なものは、フィンだけだからな。それ以外に欲しいものなんかない。」

 セイクリッドはそう言いながら、エルミアを今までにないほど優しい瞳で見つめていた。エルミアは、セイクリッドの視線を受けて思わず顔を真っ赤に染める。その様子は、セロルナやロドリグスにも伝わっていた。セイクリッドのその態度にやや暫く絶句する2人、そしてうっすらと笑みを浮かべるセイクリッド。

「…まぁいいか。確実な情報ではないが、聞けた事だし…邪魔したな。」
『おい、セイル。』
『話はまだ…。』
「じゃぁな。」

 一言セイクリッドがそう言うと、光の球から2人の人影が消え失せる。そのほんの一瞬2人が、セイクリッドを呼ぶ声が聞こえていたが、セイクリッドはそれには答えずに光の球を消していた。

「…良いの? 心話を切っちゃって…。2人とも怒るかもしれないのに…。」

 エルミアが俯きながらセイクリッドに尋ねる。エルミアの思いに反してセイクリッドは、クスクス笑いながら答えていた。

「あいつ等と長々と話をする気はないぞ。例えあいつ等が怒ったとしてもすぐ傍にいる訳じゃねぇし、気にする事は何も無いだろう。」
「それにしたって…一方的に心話を送って、一方的に止めちゃうなんて…。」
「は、あいつ等だって同じだぜ? …それにそろそろ時空が開くってのに悠長にしていられないだろう。」

 セイクリッドの言葉にエルミアはきょとんとしながら、首を傾げていた。

「時空が…開く?」
「そう、お前の最初の目的だったラトゼラールへ行く道が開かれる。」
「え!」

 セイクリッドの言葉は、本当に以外だった。目を見開き驚くしかないエルミア。セイクリッドはどうして大事な事を言わずに、いつでも突然行動を起こすのだろう。なんとなく不条理な気分に陥るエルミアであった。
セイクリッドもそんなエルミアに気が付いたのか、唇の端に笑みを浮かべていた。

「…言っとくが、この時空が突然開かれるってのは、俺だって今知ったんだぜ。隠してた訳じゃないからな。」
「それ…本当なのかしら…。」

 エルミアの言葉にククッと喉の奥で笑うセイクリッド。

「相変わらず、信用してもらえないようだな。まぁ仕方ねぇか、今までが今までだったからな。」

 悪びれた様子もなくあっさりと言い放つセイクリッドに、エルミアが諦めに似た溜息をこぼしていた。そんなエルミアの髪にそっと撫でるセイクリッドの優しい手。

「…さて、時空を開いてもらおうか。過去のラトゼラールへ。今度は否やは言わせないぜ。ラーディス、アルセリオン。」
【…承知した…。】

 セイクリッドの言葉と共に誰かの声と鈴の音と柔らかな光が、2人のいる部屋の中に響き渡る。その音に思わず辺りをきょろきょろと見回すエルミアをセイクリッドの腕が包み込んでいた。エルミアは顔を上げ、セイクリッドを不安げに見つめている。

「心配ない。多分今度は、フィンも気絶する事はないよ。空間自体がフィンも受け入れてくれているようだからな。でも、俺にしっかりと掴まっていろよ。」
「う、うん。」

 光が大きく放たれ、鈴の音が幾重にも響き渡る。エルミアは迷わずセイクリッドの背中に腕を廻ししっかりと抱きついていた。セイクリッドもまた、そんなエルミアを抱きしめている。
2人の身体が眩しいばかりの光と時間に包まれ空間の中に消えていく。それはエルミアにとって不思議な感覚だった。ギュッと瞼を閉じてその中に入り込んでいた。


 どれほどの時間が経っていたのだろうか。エルミアの耳にさわさわと吹き付ける風の音と、何処からか聞こえるにぎやかな声や音が、遠くに近くに感じていた。
瞼を開けると、そこは一面の輝く草原であった。

「こ、ここは?」
「過去のラトゼラールに近いクラ・イシュクルの草原。時期的には…そうだな星誕祭の真っ最中だな。」
「クラ・イシュクル…草原? 星誕祭…?」
「そう。ここから南に行くとラトゼラールがある。星誕祭ってのは、母上…いや、地母神アースが、この星に姿を変えて様々な命を産み落としてくれた感謝の祭りだよ。1星月(せいげつ)…と、お前達の言い方では1ヶ月だな、その祭りが続くんだ。その後には20日間、創世祭がある。」

 セイクリッドの説明に感嘆の溜息しか出てこないエルミア。それは、周りの輝くばかりに美しい風景に対してであった。セイクリッドは、そんなエルミアを見つめながら、優しい笑顔を浮かべていた。

「…どうして、此処に来たの?」
「あぁ、お前に知っていて欲しい事と、注意しなきゃいけない事があったんだ。それを知らずに直接ラトゼラールに連れて行く訳にはいかないんでね。」

 セイクリッドの言葉にエルミアは不思議そうな顔をしている。

「まず一つ、此処では俺の事を決して人前で『セイル』もしくは『セイクリッド』と呼ぶなよ。」
「え…どうして…。」
「あのなぁ…此処は過去の聖帝国ムーだぜ? 過去の俺がいる場所だ。そいつ以外がその名前を持っている事が不振がられるだろうが。」

 セイクリッドの言葉にあっと息を飲み込むエルミア。過去と現在の人物が、同一の場所にいる事が後々どんな歪みをきたすか判らない。その危険性を指摘されて、ようやく自分が何処にいるか理解する。

「じゃぁ…なんて呼べばいいの…? それにあたしは…なんて呼ばれるの?」

 エルミアの戸惑っているような質問にセイクリッドが再び笑みを浮かべる。

「俺の事は『ユーリス』と呼べばいい。フィンは、名前を変える必要はない。…この時代は創世の光人だけの時代ではないから、怪しまれる事もないだろう。次に…俺とお前は、このムー大陸の北にあるノーリアと言う国から、星誕祭を見に来たと言う事にするんだ。」
「貴方の事をユーリスと呼べばいいのね。そして、ノーリアから来た…他には、何かある?」

 エルミアは、セイクリッドから受けた注意を復唱している。そんな彼女の姿にクスクスと笑うセイクリッド。

「後は、俺は俺でなくなる。それを覚えておけ。」
「ど、どう言う事? それって…セイルがいなくなっちゃうって事!?」
「ユーリス…だ、今言ったばかりだろうが。いなくなる訳じゃねぇ。このままの姿を保っている方がまずいんだよ。過去の俺と同じ気、同じ姿なんぞ持っていたら、どんなパニックになると思う? 
それでなくとも俺の気を敏感に感じ取る奴が、この世界には何人もいるんだぜ。そうなったら環を探すどころじゃねぇ、大騒ぎになっちまう。」
「あ…そ、そうね。でも…以前にも過去に来た事があるのに…どうして今回は、そこまでする必要があるの?」

 セイクリッドは大きな溜息を吐いていたが、再びエルミアに説明をする。

「あれは、アストールの超常力によって、作り出された幻影であり、俺達は精神体のままだったからな。他の人間はいなかっただろう? だが今回は違う。俺達は肉体ごと、過去に来ているんだぜ。…ある意味危険ではあるんだ。それと、この世界にいられるのは、恐らくルーグの刻までだ。それまでに手掛かりを見つけなきゃならねぇが…。」
「え、と…ごめんなさい。ルーグの刻って何の事? それが判らなければ、あたし迷惑かけちゃうかもしれないわ。」
「あ…そうか、お前達の言い方では、夜になる事だな。」

 セイクリッドの説明にエルミアが驚いていた後、空を見上げていた。

「そんな…じゃぁ早く行かないと、時間がなくなっちゃうわ。」
「焦るな、お前達の世界の時間の流れと、こっちの世界の時間の流れは、かなり違うんだ。そしてフィンには、一番重要かもしれないが、もしもカザマを見つけても絶対に呼んではいけない。この時代じゃ、お前は奴の愛し子でもなんでもないのだからな。
それと、最後にもう一つ。お前の世界に戻った時、絶対に他の奴にこの世界の事を喋ったりするなよ。あと、向こうでは何日間か進んでいると言う事を覚悟して置け。」
「え…? カザマを呼んではダメなのね。判ったわ。でもそんなに…時間の流れがこっちと向こうじゃ違うの?」

 エルミアの言葉にセイクリッドの唇の端が上がる。

「そう言う事になるな。さて…俺も準備するか。」
「え?」
「そこで待ってろ。いいか? 俺が戻るまで絶対に動くなよ。最も俺が戻ってくる時には、違う姿だからお前が間違えるかもしれないがな。」

 セイクリッドのその言葉にエルミアは、不安そうな顔をする。

「セ…ううん、ユーリスの姿が判らなかったら…どうなるの?」
「大丈夫だよ、お前なら絶対に判る。フィンが判らなくても…判るようにするし。」
「え…。」

 セイクリッドはそう言うと、ひらひらとエルミアに手を振ってその場から姿を消した。一人取り残されたエルミアは、ゆっくりと辺りの景色を見渡していた。
そこは、自分のいたラムリアとは全く違って、全てが光り輝いていた。何処もかしこもパワーに満ちて律動している生気溢れる世界。以前、セイクリッドが自分に教えてくれた事があった。この美しい世界すらも、戦いが起こっていたと言う事を。
本当にこの美しく穏かな世界で、そんな戦いが起こっていたのだろうか。

 さわさわとエルミアの頬を撫でる風が心地いいが、いつもの風の流れと違って、優しいがどこか自分に対して余所余所しい。それがひどく居心地が悪く、不安を駆り立てる。その後セイクリッドの言葉を思い出していた。

「…そっか…ここは私の世界じゃないんだ。風霊達が私を知らなくても当たり前よね…。当たり前…風霊達が傍にいるのが、当然のように感じていたんだ。それがどれだけ奇跡に近いかも知らずに…。」

 小さく苦笑するエルミア。どれだけ自分があの世界で、風霊達に庇護されていたのか、今ならありありと判る。当たり前に感じていた事は、実は当たり前ではなかったのだ。
溜息がこぼれ、大地に座り込むと、エルミアはぼんやりと空を見上げていた。
何処までも澄み渡った美しい世界、美しい空。時々鳥が光を放ち大空を優雅に舞っている。こんな世界があったんだ…と、思うと涙が零れてくる。

 エルミアの瞳から零れ落ちた涙が、ハラハラと大地に滴り落ちる。そしてその一滴(ひとしずく)は彼女の知らないまま、彼女の左腕のアームレットに落ちていく。エルミアの流した涙が、柔らかな光を放ってそのアームレットに吸い込まれていたが、エルミア自身は、全くその様子に気が付いていなかった。

「…何を泣いている?」

 突然エルミアの耳に聞いた事のない声が聞こえてきた。ハッと我に返り辺りを伺っていた。その目の前には、長身の男性が逆光の中に立っていた。眩しさに顔を腕で覆い、その姿を見ようとしているエルミア。

「い、いえ。別に何でもない…んです。」

 此処は聖帝国ムー。自分の知らない世界である。用心するに越した事はない。その男性から身を翻して、その場を離れようとするエルミアにその男性の腕が、エルミアの身体を捕まえていた。
驚いたエルミアは、その腕から逃れようとして、暴れながらもその男性を睨み付けていた。

「は、離して!」
「…このボケ。まぁ、お前がその調子なら他の奴等にも判らないかもな。」
「は…?」

 エルミアの動きがピタリと止まり、まじまじとその男性の顔を見つめていた。ストレートの長い金髪を下の方で無造作にまとめ、印象的な碧の瞳。顔はセイクリッド達ほどではないが、ある程度整っている。その男性の着ているサラーナは、黒っぽいものでやや長めのもの。そして足元は、黒っぽいスラックスのようなものを着けている。
勿論、その顔や声には全く覚えもない。
だが、今エルミアを捕まえている腕と、自分に対して『ボケ』と言った言葉のイントネーションは、彼女が良く知っているものである。腹立たしい気持ちと共に複雑な安堵感が、エルミアを襲っていた。

「…え…? ま、さか? セ…ユーリス……。」

 ゴクリと息を飲み込み、恐る恐る尋ねるとその男性はニヤリと笑う。

「まーだ、その名前に慣れていないようだな。フィン。」

 ドクンとエルミアの心臓が大きく高鳴り、トクトクと速いスピードで脈打っている。それは声が違っても、自分をいつも呼んでくれる人にだけ反応するもの。どれだけ姿が違っていても、声が違っていてもこの高揚感を忘れるはずがない。
エルミアはそう思うとその男性…セイクリッドの首に抱きついていた。

「お、おいフィン? どうしたんだ、一体…? それに何で泣いていた?」
「…ううん…なんでもない。ちょっとだけ…びっくりしたの…。あたしの知っている姿じゃないから…。」

 セイクリッドはそれ以上何も聞かずに、自分に抱きついているエルミアの頭をぽんぽんと軽く叩いた後、エルミアを促す。

「…ラトゼラールに行く前に星誕祭を覗いていくか。」
「え、だって…。」
「日が暮れるまでには、たっぷりと時間はある。ほんの少し寄り道するだけだ、誰も咎めやしないさ。」

 セイクリッドはそう言うと殆ど強引にエルミアを引っ張っていく。エルミアもまたそのセイクリッドに引っ張られていくしかなかった。歩いていくと、小さな村や町が見える。そのどれもが祭りの熱気を醸し出していた。

「う…わぁ。」

 華やかな熱気に思わずエルミアの口からは感嘆の声が漏れ、瞳を輝かせながらその華やかさを感じ取っている。セイクリッドはそんなエルミアを愛しげに見つめていたが、エルミアには勿論届いていなかった。

「ふ…ん? いつも以上に星誕祭が華やかだな…。何かあったっけか?」

 セイクリッドが小さく呟き考え込んでいた。村の中には行き交う人の数が、並ではなかった。その人混みの中でも、エルミアはあちこちの出店に目を移している。にぎやかな呼び声、色々な店が立ち並ぶ村。何よりも華やかなものに目を奪われていたのだ。
セイクリッドは、そんなエルミアの姿を見て苦笑する。

「そう言や…フィンは余り祭りに参加したことなかったんだっけ…。」
「え? 何、セ…ユーリス何か言った?」
「うん? 何でもねぇ、何か欲しいものでもあるか?」
「え…だって…。」

 エルミアの戸惑いを察知したセイクリッドは、静かに微笑んだ。

「まぁね…さすがに品物は無理だが、食い物や何かを見るぐらいなら大丈夫だぜ?」

 セイクリッドの言葉に見る見るうちにエルミアの顔が紅潮し、大きく頷いていた。その様子はとても嬉しそうである。初めてそんなエルミアの顔を見たセイクリッドは、愛しさの余りクスクスと笑ってしまい、エルミアの肩を抱きしめていた。
その2人の様子は、誰が何処から見ても、微笑ましい恋人同士であった。

 ただ…どの世界にも何処の国でも、その華やかさに相応しくない者がいるものである。エルミアとセイクリッドもその相応しくない者に当たってしまったのだ。
エルミアにものすごい勢いで、体当たりしてきた一人の男。その男は、エルミアにぶつかった後、吹っ飛ぶかのように倒れこんだ。

「あ…ご、ごめんなさい!」

 エルミアが謝ろうとすると、その男はもんどりうって泣き叫んでいた。エルミアのせいで骨が折れたと…。困惑するエルミア。その男に舌打ちするセイクリッド。

「行くぞ、フィン。そんな阿呆に関わるな。」
「で、でもあたしにぶつかって…。」

 セイクリッドは、強引にエルミアを抱き寄せてその場を立ち去ろうとした時、2人の周りを取り囲む柄の悪い男達。

「おいおい、どうするんだよ。俺達の仲間をこんな怪我させて、そのままとんずらかい。」
「は…華奢な女一人にぶつかって、大怪我だと? 馬鹿も休み休み言え。」

 セイクリッドはニヤリと不敵な笑いを浮かべたかと思うと、挑発的な態度でその男達を見ている。そのセイクリッドの態度に怒りを顕にする男達。

「兄ちゃんにゃ関係ねぇ話だ。そっちの別嬪さんをよこしなよ。そうすりゃ見逃してやるぜ。」
「ほう? こいつが欲しいと言うか? 戯けた事を抜かしやがる。誰が貴様らのような阿呆に渡さなきゃならん? どうしてもと言うんなら…この俺を倒してみるんだな。」
「何? こいつ…俺達を誰だと思っているんだ? この聖帝国ムーを支えるシャーラトとラトゼラールの聖戦士(せいせんし)聖天王(せいてんのう)なんだぜ。」

 周りにいる人々は、その男達の言葉に凍りついた。だが、セイクリッドはその言葉に大笑いをしている。呆気にとられている男達、そして隣にいるエルミア。

「フ…貴様等が、聖戦士と聖天王だと? これはお笑い種だな。戦士でもない騙り者のくせによく言ったものだ。」
「何を! 貴様その腰の剣を抜きやがれ! 俺達のことをコケにしやがって! 目に者見せてくれる!」

 数人の男が剣を抜き放つ。その場は混乱していた。叫び声を上げて逃げ惑う人々で溢れていた。エルミアはセイクリッドの袖の裾を引っ張っている。

「ユ…ユーリス、こ、こんな所で騒ぎを起こしたら…!」
「ふん…この村に入った最初(はな)っから俺達の後をつけてきた奴等だ。こんな阿呆共がお前に触れるってのも気分の良いもんじゃねぇ。剣なんぞ抜かなくても、一瞬で片はつく。」
「ユーリス!」
「この優男が、思い知るが良い!」

 エルミアが止める間もなく、男達がセイクリッドやエルミアに切りかかってきていた。エルミアは反射的に左腰にある剣を抜き去り、自分に降りかかってくる男の剣を弾き飛ばす。
セイクリッドは、言葉通り剣を抜かずに、次々と向かってくる男達を倒していた。周りからはエルミアとセイクリッドに対する絶賛の声が漏れていた。

 この男達も周りの人々も、ユーリスに扮しているセイクリッドの本当の姿を知らない。相手の力量も見極めず、闇雲に突っかかっていたのだ。恐らく、今までは聖戦士と聖天王の名を使って、いいように相手をやり込めていたのだろう。エルミアにしても、ただの女と侮っていた男達の浅はかさである。

 勝負ともいえない、片は本当に一瞬で付いていた。男達はゴロゴロとその場にもんどりうって唸り声を上げていた。大怪我をした者もいるかもしれないが、誰一人死ぬ事はなかった。
セイクリッドは、一番元気そうな男の頭を蹴ったかと思うと、その男の胸倉を掴んでグイと強引に顔を上げさせ、皮肉を込めて冷笑を浮かべた。

「ふ…これが自称、聖戦士と聖天王の力か? 馬鹿目が…今度人を襲うような時は、しっかりとそいつの力量と自分の力量を測るんだな。…最もその今度があれば…の話だが?」

 セイクリッドの冷笑にセイクリッドに頭を蹴られた男は竦みあがっていた。やっとこの人物を怒らせてはいけなかったのだと気が付くが、それは後の祭りであった。そこへ、2人が最も逢ってはいけない人物が現れたのだ。その人物は、周りに倒れている男達に口笛を吹いている。
思わずエルミアの息が一瞬止まり、隣にいるセイクリッドとその人物を交互に見つめていた。
セイクリッドもまた、その人物の登場に口の中で舌打ちをしていた。

「ほう? 乱闘騒ぎになっていると聞きつけたが…どうやら終わったようだな。こいつ等を倒したのはお前達二人か?」
「…セイ…ル……。」

 その人物の声にエルミアの心臓が大きく跳ねていた。ガクガクと全身が震える。セイクリッドもそれに気が付いたのか、エルミアの腕を強く握り締めていた。ふとその温もりに安心した顔をするエルミア。

「何? どこかでお前達と会ったことがあるのか?」
「い…いえ、噂だけは…聞いた事があるだけで…初めてお会いします…。」

 エルミアの声が震えていた。その人物は、過去のセイクリッドであった。エルミアの心臓が飛び跳ねるのも道理だろう。
過去のセイクリッドは、倒れている男共をぐるりと見渡し、嘲笑を浮かべる。

「ふ…お前達良い腕をしてるな、殺さずに急所を打ち、関節を外したか…。この馬鹿共には良い薬になっただろう。何処の国の者だ。名は? 何の用で此処に来た?」
「我々は、北のノーリアより来た者。俺はユーリス、そして俺の恋人のフィンリー。聖帝国ムーの星誕祭を見物に来ただけだったが、途中こいつ等に絡まれて、やむなく倒した。」
「それは…申し訳ない事をしたな。侘びと言っては何だが…どうだ? お前等がその気ならこの国で戦士にならんか? お前等のような強い奴等は、早々いないからな。」

 その申し出はとんでもないものだった。エルミアは眩暈を起こしそうになり、セイクリッドは顔を自分の手で覆っていた。恐らくセイクリッドは大声で叫びたかったであろう。「俺がお前なんだ!」と。必死にそれを堪えて首を横に振る。

「せっかくの申し出ありがたいが、俺達はこの旅が終わったら、ノーリアで結婚する事になっている。その後は、ずっとノーリアで暮らすから無理だ。」
「ほう?」

 セイクリッドの苦し紛れの言葉にエルミアの顔が、見る見るうちに真っ赤になっていた。エルミアの顔を見た過去のセイクリッドは、それを肯定と捉えたのか過去のセイクリッドが苦笑し、小さく肩を竦める。

「…そういう話なら無理強いは出来ないか…。2人きりの旅を台無しにしてしまったようで済まなかったな。ただ、俺達の国はこう言う馬鹿ばかりではないと、覚えておいてくれ。」
「…覚えていたら…覚えている。」

 そっけないセイクリッドの言葉に過去のセイクリッドが、軽く噴出して笑う。そこへその過去のセイクリッドを追ってきたらしい戦士達が現れた。

「セイクリッド様、こいつ等どうします?」
「ふ…ん、戦士の名を騙った奴等だ。牢にでも放り込んでおけ。気が付いたらたっぷりと説教してやる。」

 ポキポキと指を鳴らし、その近くに倒れている男の背中をギュッと踏みつける過去のセイクリッド。それはセイクリッドそのものであった。苦笑してしまうエルミア。セイクリッドは、エルミアの腕を取ったかと思うと、足早にその場を立ち去っていた。


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