永遠にも続く暗黒の中。無数の触手があたしに迫ってくる。
光すら掻き消えてしまう邪悪さの中。どんなに激しくもがこうと、その触手はあたしだけを狙ってくる。
「いや!!」
あたしの全てをがんじがらめにして、狂喜に満ちた闇が迫る。
やめて! いや! あたしがあたしでなくなる! その触手を外して!
『抗うな! そなたの全てはこの我の物よ!』
ぞっとするような悪寒が背筋を走り、それと同時にどこかで歓喜に満ちている自分。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
あたしの手は空を裂き何かを求めている。その手が、何かに捕まえられた。
いや! 放して! 堕ちてしまう! 邪悪があたしを捕らえる。
『……フィン!!』
「はっ!!」
何かに呼ばれあたしの意識が浮上する。
瞳がおぼろげな光を映し出す。全身が氷のように冷たくなっている。いえ……違う汗をかき冷たくなっているだけ?
今のは……何だったんだろう?
「……大丈夫か? ……いまだにお前の五感の全てで覚えているんだな……。」
いきなり耳元でぞくっとするような声で囁かれた。あたしの視線が、その声の方にうつろげに向けられる。
見事な青銀色のウェーブのかかった髪、射る様なマリンブルーの瞳があたしを見つめていた。精悍な顔つきの男性。
「……セ…イル……?」
あたしの手を握っている彼の手に力がこもる。あぁ……そうか、今のは終わった悪夢だったのね。
そして……空を切っていたあたしの手を握ってくれたのは彼だったんだ。
邪悪な触手は……すでに終わった過去。
安心したかのように一気に全身の力が抜け、ほーっと溜息交じりの息を吐き出した。
「ごめんなさい……起こしちゃったのね……。」
あたしの言葉に返事をする代わりに彼の暖かい手があたしの目の下を拭う。
え……涙? やだ、あたしったらあの悪夢を見ながら泣いていたの?
「だ、大丈夫よ……。」
「……な訳ないだろうが。そんなに身体が震えてるってのに……。」
そう言うなり、セイルが強くあたしを抱きしめる。
「…苦しい……。」
苦しいけれど、冷たくなっていた全身がゆっくりと温かくなる。セイルの瞳があたしを見つめている。
月明かりの中、射る様な瞳が優しい輝きを放つ。
あたしの心臓が、早鐘のように打ち出した。
セイルの瞳が閉じられあたしの唇に彼の唇が近付いてくる。
あたしも瞳を閉じる。
―――次の瞬間、激しいほどの強風があたし達の周りに吹き荒れた。
【いい加減にせぬか!】
ひときわ激しい風があたしとセイルの間に割り込み、2人を引き離す。
「チッ! まーだ邪魔しやがるのか! てめぇは!!」
セイルが舌打ちをして、憎々しげに言葉を吐き出す。激しい風が人の形を取る。
「カ……カザマ……。」
風霊全てを束ねる風霊の王カザマの出現。カザマはジロリとセイルを睨みつける。
【何度も言ったはずだ。我が愛し子に手を出すなと! そなたのような輩には渡さぬと!】
「誰がそんな事に『はいそうですか』と聞けるか!
大体てめぇは、聖霊だろうが! 俺達に関わってるよりする事があるだろうが!」
【たわけ者が。それ以上に我が愛し子がそなたのような輩の毒牙にかからぬように見守るのが、我が彼の者と交わした
そちらの方が何においても優先される。】
涼しい顔できっぱりと言い切るカザマ。嬉しいような、悲しいような……。セイルって、余程カザマと合わないんだなぁ。
遥か昔の聖帝国ムーでのしがらみが今も続いているんだもの……。
「だからと言って、いつもいつも邪魔ばかりしていいって訳じゃねぇだろうが!
あいつと約定を交わした!? だから何だってんだ!」
セイルがカザマにまくし立てている言葉にズキッと胸が痛んだ。
あいつ……エリュクスの事だ。
そうだった……セイルは、いつか……彼女の元に還っていくんだ。
結ばれて、辛い思いをするのはあたしなのかもしれない。
創世に生まれ、神々と同様の
その刻は、限りなく永遠に近い。
でも、あたしは――――? 考えていると、思考がどんどん暗い方に行ってしまう。
【……全く……。あ奴の超常力に気付かぬ大たわけが!
だからこそ、そなたには愛し子を渡せぬと言っておるのだ!】
カザマの言葉にビクッと硬直するあたし。そして、顔色を変えるセイル。
「まさ……か!?」
【……ほう? 気付いていなかったと見える。封印の奥底で、あ奴目は我が愛し子を己の元に手繰たぐり寄せようとしておるのだ。そなたと言う触媒を介してな。】
「……夢見!?」
セイルの言葉にカザマがセイルを冷たく見据えていた。
【そなたが側にいるだけで、我が愛し子に幾度も危険が襲い掛かる。
それでも側にいると言い張るのか? 護るとでも言えるのか?】
全身が氷を纏った様に一気に冷たくなる。
あの邪悪は過去の事ではないの? 全てが終わったはずよ。
どんなにあがいても……あたしはあの邪悪に捕らえられるしかないの?
いやだ。そんなの! つま先から震えが大きく波打つ。
足元がしっかりしてないのが、自分でも良く判る。
ダメ……セイルやカザマの前で醜態を見せちゃダメ!
私の気持ちとは裏腹に、全身が押さえが効かないほどに震えている。
封印してもなお、あたしを求める邪悪から解き放たれたい。でもそれは、あたしをあいつに与えないと無理な事なの!?
「フィン。」
セイルに抱きすくめられ、不意に全身の震えが止まった。カザマは顔をしかめる。
「……ざけんなよ、カザマ! 誰がフィンをただ護るって!?
冗談じゃねぇ…。こいつがただ護られているだけの女に見えるのか?
あぁ、確かにどんな事になっても俺はこいつの側にいる。そして護るさ! 共に戦ってな!」
セイルの言葉にカザマが目を見開き驚いた顔をしている。あたし自身も耳を疑った。
共に戦うって……だって……あの悪魔と戦うにはあたしは、足手まといにしかならないのに?
かつて、三聖女と言われた中で、あたしが一番危険な人間なのに?
「……セイル…!」
セイルの顔を見上げ、言葉を綴ろうとした時、彼の指があたしの唇に当てられる。
言葉はやんわりと押し留められ、代わりに涙があふれてきた。セイルがそんなあたしの涙を唇で拭う。
カザマが呆れた様に大きな溜息を吐く。
【逃げるでもない護るでもない、自ら戦うと言うのか。しかも共に?
ならば、あやつらの力を借りねばならぬだろう?】
「はっ! 何言ってやがる! あの4人の力は一切借りない!
自分の蒔いた種を刈るだけなのになんであいつらを当てにしなきゃならない?
フィンはフィンの、そして俺は俺の決着を付けるだけだ。」
そうだ……この決着をつけないといつまで経ってもあたしは、あの悪魔に脅えていなければいけないんだ。
「……セイルと行く! あたし……あの悪魔との繋がりを切りたいの!
ただ護られていたって……何の解決にもならないわ!
セイルが……彼が一緒に戦ってくれるなら……戦える。
だから…だから、カザマ……反対しないで……。」
自分でも驚くような言葉が出てくる。もう、脅えているのはいや。
あたしの言葉にセイルが、唇の端で笑う。
その瞳は、限りなく暖かく優しい。
【……全く……我が愛し子をそうまでして動かすか。相も変わらず横柄な奴よ。
セイクリッド、そなたは!】
「横柄? おい、俺は別に誰も見下しちゃいねぇぞ? 言葉ぐらい覚えろよ。
それでも聖霊か?」
【そなたのようなたわけには、それで十分だ。我にへりくつを
セイルとカザマの言い合いに思わず口元がほころんだ。
【……愛し子が笑みを見せるのは、久方ぶりだ……。我が愛し子よ。
そなたは、何が待ち受けていてもこやつと生きていける自信があるのか?
愛し子は定められた命を持つ者ぞ? そしてこやつは、星の寿命より遥かに永い刻を生きる者。
それは、我等聖霊に近いものがある。それでも行くというか?】
「! カザマ!!」
セイルがきつい瞳をしてカザマを睨みつけている。カザマもセイルを冷たく見下ろしていた。
どうしてカザマはそんな事を言うの?
彼があたしとは違い、永遠に近い刻を生きると言うのは、頭の中では理解している。
何の自信……?
「……自信…なんてないのかもしれない……。でも……今あたしがしなければいけない事だけは判っている!
これ以上、あの悪夢を続けたくないの! ただ……人並みに安らかな夢をみたいの!
そしてセイルは……彼は、あたしと共に戦ってくれると言うわ!
未来なんて知らない! 知りたくもない! 今彼があたしの側にいるという現在を
受け止めると言う事もダメなの!? そんな思いじゃダメなの!?」
「フィ……!」
『【セイクリッド! そなたは黙っておれ! 我は、そなたの思いを聞いている訳ではないのだから!】』
セイルが何かを言いかけてその言葉を止めた。
一瞬の隙を見て、カザマ達風霊の結界が、あたしを取り囲んでいた。
何が……起きたの?
セイルが遠くに感じる。さっきまで彼の温もりがすぐ側にあったのに?
いきなり不安が大きくなった。
「カザマ! あたしに何をしたの!?」
【安心するがいい。今の我等のやり取りはあやつには聞こえぬ。
……あやつが口を出したのでは、全てが台無しになる故。もう一度愛し子に聞く。
セイクリッドと共に生きていこうと思うのか?】
カザマの問いかけにゴクリとのどが鳴り、身体中が微かに震えだす。
あたしの気持ちは? 彼と一緒に生きて行きたいの? 行きたくないの?
―――心の中を突き抜ける想いが、答えを知っている。
「……あたしの最期の時まで、一緒に生きて行きたい。いいえ…彼の刻の続く限り!!」
答えた後、あたしは自分でも判る位に真っ青になっていた。
セイルが、あたしの側にいてくれるのは現在だけ。自分の勝手な思いで、セイルを縛り付けていいんだろうか?
元々彼は、神々からも戻ってくるように言われていたのをあたしを護るという名目で、この世界に残ったに過ぎないんだ。
あたしが死んだ後まで彼をこの世界に縛り付けて良いはずがない。
ダメよ、この言葉だけはセイルに言っては…。セイルには、彼女が……エリュクスがいるのだから!
セイルのためだけにこの世界の存続を願い、神々に逆らった彼女が!
あたしの思いなんて、彼女に比べれば
セイルだって……それを承知しているはずよ。
カザマに答えた言葉に後悔してしまったあたし。言っちゃ……いけない思いだったのにどうして言ってしまったの?
そうカザマだって、セイルにきつい事を言うのは、彼女の元に戻って欲しいから。
そうして、永い刻の中で彼女の言葉を守って、聖なる闇と光を持つ者を見守り続けていたのよ。
あたしの意に反してカザマが悲しそうな顔をした後、嬉しそうに笑みを浮かべる。
【愛し子よ。そなたの気持ちは判った。ならば我からひとつ―――】
カザマが何かを言いかけた時、激しい衝撃が結界に触れた。カザマの結界の中なのに激しく揺れる。
有り得ないわ。彼の結界の中にいながらこんなに激しく揺れるなんて。
何があったの? 結界の外では何が起きているの?
「え!?」
【あのたわけが! この我が、愛し子に害を為す訳がないと言うに!
だから危険だと言うのだ!】
カザマはそう言うなり、あたしを抱え上げ空に舞い上がった。それと同時にカザマの作り出した結界が消え去っていく。
まさか……これってセイルの仕業なの?
【……我だけではなく、我が愛し子までをも吹き飛ばすつもりだったか? セイクリッド、この愚か者よ。】
上空にまで飛翔してきたセイルに冷たく言い放つカザマ。
「誰がそんな事するかよ! ラグフュウドの残留思念が、襲い掛かってきやがった!
それを飛ばそうとしただけだ!!
カザマだけならまだしも、この俺がフィンを狙う訳ねぇだろうが!」
セイルの言葉の通り、彼の超常力を放った後には、あの悪魔ほどではないけれど禍々しい
その禍々しさは、あたしを見つけ最後の超常力を振り絞ってあたしに近付いてくる。
『その娘……それをよこせぇぇぇぇ!! さすれば我等が悲願はかなうのだぁぁぁぁ!』
「……その汚い手で、こいつに触れるな!! てめぇらの好き勝手にはさせない!!」
セイルがそう言うや否や、激しい光の爆発が彼の手から放たれた。ラグフュウドと言われた意識体は、激しい閃光と共に瞬時のうちに消え去っていった。