Novel

鈴の音

著者:真悠
718

 シャラーン……。
どこか遠い所で、心地いい鈴の音を聞いたような気がした。
遥か昔、いつも聞いていた音。
何故? と考える思考より確かに身体で覚えている音。
そんな事有り得ないのに。
全てを捨ててしまった自分には、もう聴くことが出来ないのに。

 シャララーン…。
2つ目の鈴の音が物憂(ものう)げに響いて、その音が遠くなる。
あぁ…やはり幻か、さもあろう二度と再び聴く事は出来ないのだから。


「……ねぇ、ねぇってば!」

 春の花に埋め尽くされた丘の上で誰かが、苛立たしそうに転寝(うたたね)していた青年の身体をゆすり起こしている。
鈴が転がるような心地のいい声。
起こし主を知っていた青年はわざと、起きない振りをする。

「もう! 起きているんでしょう? 意地悪なんだから、貴方って。」

 たまらずクスクス笑い出した青年の頬を軽くつねる鈴の転がるような声の持ち主。
淡い金髪が波打ち、空よりも蒼い瞳が微かに怒っているようだ。

「悪かったよ、からかって…。でも良く今日ここに私がいるって判ったね。」
「……貴方、この丘が好きだもの。それは私も同じだけど…今日ここに来たのは偶然よ。
いつもそうじゃない。」

 その丘は、ラスセルイ国の首都ラスインの街が一望できる絶景な場所であった。
一人の青年と一人の少女の出会いの場所でもあった。
少女は、ラスインの街を愛しげに見つめると、屈託のない笑顔を彼に向け、ちょこんと彼の隣に座る。

「ラビア? どうしたんだ? なんだか…元気がないよ。」
「ん、ううん。なんでもないわ。ロークこそ、何度か溜息をついていたでしょう?
何かあった?」

青年が小さく溜息をつく。

「溜息なんてついてないよ。この綺麗な風景を前にして…。」

一瞬言い澱む青年。少女の蒼い瞳がジッと青年を見つめている。

「嘘ばっかり…知ってた? ロークって心の中で溜息をつく時って、必ず右の眉がピクピク動くのよ。困っている事がある証拠よ。
もしくは、手に負えない何かがある時。」

 少女の言葉に青年が図星を指されたかのようにドキリとした。この少女とは、出会ってまだ何年も経っていない。
出会いはちょうど1年前だった。

 嫌な事や辛い事があれば、青年はいつもこの美しいラスインの街が見渡せる丘の上に来て、時間をつぶす事が多かった。
美しい風景を見ていると、嫌な事も辛い事も忘れてしまう。
下手をすると、1日中この丘にいる事もあった。
誰も来ない場所。青年だけの場所だった。

 それが1年前、ひょんな事からこの丘を訪れた青年の瞳に映った先客の姿。
花が咲き誇っていると言うのに、その花には目もくれず、大粒の涙を流して泣いている少女だった。
何を泣いているのか、結局聞き出す事が出来ず、しばし呆然となっていた青年。
青年の姿を認めた少女は、ビクンと身体が跳ね上がるほど驚いて、逃げ出してしまった。
少女が気になり、その後毎日この丘に来ていた。
そして、数日後少女が、再び丘に姿を見せた。

 たわいない話をしていつのまにか、当たり前のようにこの丘に来る青年と少女。
そんな少女が、親兄弟の誰より、青年の事をよく知っているかのように言い当てる。
お互いの素性は何も知らない。
ただ少女の名前は『ラビア』青年の名前は、『ローク』それだけだった。

「ラビアには敵わないな。ちょっと…困り事が起きそうでね、考え事をしてたんだ。」
「ふぅん……。」

 少女は青年の困り事に興味があるのかないのか、曖昧な返事をした。
それ以上は、何も聞かない。

「けどまぁ、なんとかなるさ。それよりラビア、今日逢えて良かった。
君に渡したい物があったんだ。」
「え?」

 青年の言葉にきょとんとしている少女。
青年は、自分の懐を探し、綺麗な布に包まれた小さな包みを少女の目の前に出した。
首を傾げて、その包みを見ている少女。

「これを…ラビア、君に。」

 少女は、青年から渡された包みを見て、青年と視線を合わせる。
不思議そうな顔と共に困惑している様子も(うかが)える。
あけてごらん、と青年が少女を促す。
少女は、ゆっくりと綺麗に大切そうに包まれた布を丁寧に開ける。

 その中にあったのは、銀細工で出来た腕輪だった。
中央に少女の瞳と同じ色の蒼い石がはめ込まれ、すかし模様になっており二重のらせん状になっている。
そしてらせん状になっている輪の下には、小さな鈴が3個付いていた。
驚きの余り声の出ない少女。

「だ、だめよ、こんな高価そうなものロークから貰う謂れはないわ。」

 少女は慌てて、青年に腕輪を返そうとする。
だが青年は、やんわりとその少女の手をつかみ、首を横に振る。

「その鈴、とてもいい音がするんだ。ラビアは以前、鈴が好きだって言ってただろう?」
「で、でも…私は。」

 困り果てる少女。受け取れないと瞳に涙が光る。
青年は小さな溜息を一つ吐いた後、真摯(しんし)な眼差しを少女に向ける。

「やっぱりこのままじゃ受け取ってもらえそうにないね。そうだな…それじゃぁ、以前私が、ある事で強かに落ち込んでいた時、
君に抱きしめてもらい、勇気と温かさをもらったお礼という事では?」
「…え…?」

少女はますます戸惑う。青年はそんな少女に優しい微笑を向けた。

「半年前、私はここに来た時、死にたいとまで思っていたんだ。…ある事がきっかけでね。そんな時にも君はここにいた。
私が、苦しんでいた時に君は、何を悩んでいるのかなんて、何も聞かずにただ私をそっと抱きしめてくれただろう?
そして『大丈夫、何があってもこの丘の風景がロークを癒してくれるわ。
どんな事をしていても、何をしていても貴方の目に映る風景は、変わる事はないのよ。
だから…元気を出して…。』って言ってくれたね。
私はそのおかげで、勇気付けられたんだ。君の暖かな温もりが、私を支えてくれた。
そして、今の私がある。そのお礼なんだ。受け取ってもらえないだろうか?」

 少女の手を握り締め、真摯な眼差しを少女に向ける。
少女にとって、その青年の瞳は心地の悪いものだった。微かに青年から視線を外し小さく頷く。

「……そんな事しなくてもいいのに……。」

 青年は、少女の言葉には返答せずに少女の右手に握られている腕輪を少女の左腕につけた。
まるで(あつら)えたかの如く、少女の腕にぴったりと吸い込まれる。
――シャラーン――
少女の腕の動きと共に、軽やかな鈴の音が丘に響き渡る。

「綺麗な…音。ありがとう、ローク…。
私鈴は大好きだけど、この腕輪の鈴は世界で一番好きな音だわ。」

 少女の瞳で潤んだ涙が、キラリと光に反射する。
そして少女は、極上の笑顔を青年に向けた。 青年にとって、その少女の笑顔が何より嬉しかった。
その後少女と青年は何度も、この丘の上に現れた。
少女の左腕には、青年から贈られた銀の腕輪がいつも光っていた。
少女の動きにあわせ、鈴の音が軽やかに鳴り響く。
それは、2人にとってのかけがえのない時間だった。


「ローク、何をしている。」

不意に青年の耳に騒音が聞こえる。

「あ、ああ…すまない。ぼんやりしていたようだ。」

我に返った青年に仲間達が怪訝な顔つきをしている。

「おいおい、しっかりしてくれよ。俺達はこのラスセルイ国の未来を話し合っているんだぞ。
そのリーダー的存在のお前が、ぼんやりしてどうする。」
「そうだぜ? 隣国のガルヴァインが、この国を狙っていると情報が入ってるんだ。」
「…ああ、そうだったな。だがこの国は、王が堅実的なお方だし王族達もしっかりとしている。
いかにガルヴァインが、どう画策しようと、あの王族達と、大地の女神ラーフェスが
この国を守っている限り手を出しようがないさ。
それに何かあれば、あの聡い大臣たちも動くはずだ。」
「そうかもしれないが、ガルヴァインは油断がならない。この豊かな国を狙って、何を企んでいる事やら…。」

 そこは、ラスセルイ国の騎士団の部屋であった。
青年は、この国の忠実な騎士の一人であった。その騎士団の部屋に血相を変えて飛び込んできた一人の騎士。
その様子に何事かと、皆が立ち上がる。

「た…大変だ! ガルヴァイン国が、この国の第3皇女を強引に(めと)るといっているらしい!
要求が呑まれなければ、ラスセルイ国を攻め滅ぼすと勧告してきたそうだ!」

その一人の騎士のもたらした言葉は、その部屋にいた全ての騎士達に衝撃を与えた。

「馬鹿な! 第3皇女ラヴィリエス様は、この国の女神ラーフェス様に仕える神女皇女(みこおうじょ)だぞ!
何て無茶苦茶な要求をするんだ! それで!? 王族は何て言ってる!?」

 青年がいきり立ち、訃報をもたらした騎士の襟元をつかみ怒鳴り散らした。
その騎士は苦しそうにもがき、言葉を続ける。

「そ、その事で、王が騎士団のリーダーであるロークを呼べと……。」
「何だって?」

 チッと舌打ちをして、騎士の一人の襟元から手を離し、その場にいた騎士の皆に「行って来る」とぶっきらぼうに言い放ち青年は、王の元へと伺候(しこう)した。
王の元に赴いた青年は、騎士が持ってきた情報通りの事を青年に告げた。
そして――

「騎士団の若きリーダー、ロークゥエスト・ガルスよ。我等はガルヴァインの要求を呑まねばならぬ…。
我が国の殆どの大臣達の世継ぎが、ガルヴァインの策略によって暗殺されてしまったのだ。」
「!? なんと仰せられた。大臣様たちのお世継ぎが…!? し、しかし!
だからと言って第3皇女を人質同然にガルヴァインに渡すのは、余りに早計かと!」

青年は王に申し立てる。

「…そこで…おぬし等騎士団に頼みたいのじゃ。
我が国ラスセルイ王国の騎士団は、ガルヴァインの軍隊などよりもずっと優秀だと各国からも言われておるし、我もそう思う。
断るとその場での戦は、避けられぬ。
ラヴィリエス皇女をガルヴァインに送り届けた次の日、我はラスセルイ国を担って戦に迎え撃とうと思う。」
「では…第3皇女の操は…どうなりますか!? あの方は神女(みこ)様であらせられる。
その御方の尊き操が汚れたとなれば、神の怒りが…!」

 青年は、そこまで言ってはっと口を閉じた。
王の全身がわなわなと震え今にも怒り出しそうなその姿を見たからだ。

「なればこそ…このラスセルイ国の(くさび)にはしたくはないのだ……。
ずっとあれには、神女(みこ)である事を強要してきた。普通の娘らしい事も一切禁じてきた…。
我とてガルヴァインのような愚かしい国の王子にあれの操を渡すというのは、断腸の思いぞ!
だが…あやつらの非人道的な行いに目をつぶるにもほどが過ぎた。」

王は小さく溜息を吐いた。そして青年を見据える。

「例え、第3皇女の操がどうであれ…そなた達騎士団に託す。
我がラスセルイ国が隣国のガルヴァインに攻め入る時、あれをガルヴァインの王宮から救い出すのだ!」
「は、はい!」

 青年は不条理な事に返事をし、(ひざまず)くしかなかった。
王の決意は固い。おそらく誰も王の決意を覆す事は出来ないだろう。
神の怒りも辞さないのか。
(いにしえ)からの契約で、神女(みこ)がいることによって、この国は女神ラーフェスによって守られていた。
均衡が崩れた時、この国はどうなるのだろう。
言い難い不安が、青年の胸に尽きることなく膨れ上がる。

「…戦が始まるのか…。」

 青年は王の言葉を騎士団に伝えた。騎士達からは、様々な反応が返ってきた。
第3皇女をガルヴァインに渡す前に、ガルヴァインと事を構えるべきだと。
青年の耳には騒音でしかなかった。
いつのまにか青年は、騎士達のいる部屋からいなくなっていた。
そしてどこをどう歩いたのかいつもの丘の上に来ていた。

 煌々と月が(きらめ)き、春の花がいつの間にか姿を隠し、夏の花に変わろうとしている。

(ラビア…もう逢えないかもしれないね。)

 深い溜息をついて、ラスインの街を一望する。月明かりに浮かび、それぞれの家の灯りが頼りなげに輝いている。
王の言った事は、国を挙げての戦。この美しい風景も消えてしまうのか。
ぼんやりとラスインの街を見つめている青年の背後から、涼やかな鈴の音が聞こえた。
はっとなり、後ろを振り返る青年。 そこには、少女が立ち竦んでいた。

「ラビア…。」

 少女はその蒼い瞳に涙を溜めて青年を見つめている。柔らかな月明かりが、少女をはっきりと映し出していた。
蒼ざめた顔が、一瞬伏せた後、少女は青年に抱きついてきた。
いや…青年の方も少女に駆け寄っていたのだ。どちらから抱きしめたのかは判らない。

「……貴方に会えた……。ここに来たら…逢えそうな気がして……。」

 少女はそう言うと青年の胸に顔をうずめる。青年は少女をしっかりと抱きとめていた。
シャラシャラと軽やかな鈴の音が、青年の耳に聞こえる。
青年は少女を抱きしめる腕に力をこめた。

「……ラビア、多分ここで君と逢うのは、今晩が最後になると思う……。」
「え……。」

 息を飲み込むほど驚いている少女は青年の顔を見上げた。
その瞳には、涙が溢れていた。

「遠くに……そう遠くに行かなければならないんだ……。だから…。」

 青年の言葉は途中で途切れた。言わせてもらえなかったのだ。
少女が青年の首に手を回し、背伸びをして青年の唇に少女の唇を重ねていた。
その瞳から、たくさんの涙を溢れさせて……。
青年の腕が少女の背中に回りきつく抱きしめた後、少女の唇に自分の唇を重ねる。
2人に言葉は要らなかった。月が遠慮がちに雲に姿を隠す。

 小さな吐息が浅く丘に響く。それと同時に綺麗な鈴の音がシャラシャラと響き渡る。
柔らかい吐息と小さな声が青年の耳に聞こえる。甘く誘惑的な少女の声。
青年自身も短い吐息が、口から漏れる。
月が再び顔を見せた時、少女は青年の腕の中で果てていた。
幸せそうに紅潮した頬。青年もめくるめく歓喜に精を使い果たしていた。

 夢の中なのだろうか?
気が付くと腰まで長く伸びた淡い金髪の女性が青年を見つめていた。

《汝……する者か?》

青年がその女性の言葉に聞き返す。

「なん…だって…?」
《……》

 美しい女性が何かを言っているが、全く聞き取れない。やがてその女性の姿が消えていく。
はっと目を覚ました青年は、今の不思議な夢のようなものをぼんやり考えていた。
ふと、気が付くと、先程までいたであろう少女の姿が見えなかった。
草花の褥には、少女の温もりがまだ残っている。
おそらく、少女は戻ってしまったんだろう。

 でも…どこへ? 青年との睦み事は少女にとって、許せなかったものだったのだろうか。
言葉もなくはやる気持ちで少女を抱いてしまった後悔が付きあがってくる。
戦が始まる、だからこそもう二度と逢えないだろうと思い、愛しさの余り少女を抱いてしまった。
小さく溜息をつくと、気だるさの残る体でのろのろと着衣する。

「…行かなければ……。」

 青年は自分の生きる場所へと向かっていく。


 そして次の日、ラスセルイ国の第3皇女は、ガルヴァイン国へ人質同然で嫁いでいった。
ラスセルイ国の全ての民は、その事に対して怒りを覚えていた。
大地の女神ラーフェスの神女皇女である第3皇女。その皇女を強引に連れ去って行った事。
そして、尊敬する大臣達の世継ぎを次々と暗殺して行った不遜なガルヴァインの行いに……。
ラスセルイ国の王の言葉を待つまでもなく、国を挙げてガルヴァインに対して決起する事になった。

 ラスセルイの青年を初めとする騎士団が、ガルヴァインに忍び込んでいた。
ただひたすら、第3皇女を救い出すために。
一人2人と、騎士達はガルヴァインの軍隊の剣の錆と消えていく。
青年は苛立ちを隠せなかった。
ガルヴァイン国の王宮は、思ったより複雑でどこに第3皇女がいるのかも判らなかった。

 そして、何より騎士達の全てが、第3皇女の顔すら知らなかったのだ。
王宮の奥に行くほどに、けたたましい女性の笑い声と鈴の音が甲高く響き渡る。

(鈴の音?)

 青年は騎士達と奥に走りながら、その音を聞いていた。激しいほどの胸騒ぎが、青年の胸を掻き立てる。

 ほどなくして、ある一室から甲高い笑い声を立てている女性を盾にして一人の男が現れた。
騎士達が思わず剣を構える。 その男は、騎士達に忌々しそうな顔を向けた。

「貴様…ガルヴァインの王子だな! 我等が国の皇女はどこにいる!」

青年がガルヴァイン王子に剣を向けた。他の騎士達も同様である。

「クックック…これは名高いラスセルイ国の騎士団か。ふん…貴様等のせいで我が国は壊滅状態だ。」
「そんな事はどうでもいい! 我等が皇女を返していただこうか!」

騎士達の言葉にガルヴァインの王子が高らかに笑い出す。

「この女の事か?」

 ガルヴァインの王子は、盾にしていた女性をグイと前に突き出す。
甲高い笑い声が、騎士達の耳につんざく。
その女性、いやまだ年端も行かないような少女は、美しかったであろう淡い金髪をぼろぼろに取り乱して、その蒼い瞳は焦点があってる訳もなく、涙を流しながらけたたましく笑い続けていた。

 狂女――そう呼ぶのに相応しいその女性。これが第3皇女なのか?
その左腕には、銀細工の元は細工が施されていたであろう腕輪がされていた。
そして、鈴が付いていたが音が潰れて不協和音を奏でていた。

「ラ…ビア…!!」

 青年はあっと息を呑んだ。それは青年が少女へ贈ったたった一つのものだった。
そして、この戦を始める前に丘で最後に出会い、愛しさの余り言葉を紡ぐことなく青年が抱いてしまった少女。 まさか、あの少女がラスセルイ国第3皇女だったとは!
知らなかったでは済まされない。
青年は己のした事に激しい後悔をした。騎士達はその狂女の姿から目を背けていた。

「クク…神に仕える神女でありながら、この女、処女ではなかったのだ。愕然と来たぞ。 我等が求めたのは、処女である皇女。
それゆえ価値があったのだ。だからこの我が抱く価値もなく、王宮にいる男共みんなにくれてやった。
淫乱で、全ての男のものをくわえ込んだぞ。この女。
ふん…絶頂が達して気狂いになったが、なかなかだったらしい。
初夜にしてはちょっとばかり激しかったようだな。」

 ガルヴァインの王子は勝ち誇ったかのように喉の奥で笑い出しそしてついには、高らかに笑い声を上げた。

「貴様……よくも我等が聖なる皇女を!」

 騎士達の怒りが頂点に達していた。
本来なら、神殿で神と人をつなぐ崇高な役割をもっていた自分達の国の第3皇女。
それを欲しがりあまつさえ、狂女に仕立て上げたガルヴァイン。
青年は少女の腕を引っ張り自分達の方に引き寄せた。
その瞬間、騎士達の怒りの切っ先が、ガルヴァインの王子に向けられた。
為す術もなく、ガルヴァインの王子は、ラスセルイ国の騎士達によってその生涯を終えた。

 今度はガルヴァインの国から狂った皇女を連れて脱出となったが、ガルヴァインの王も王子を殺されたため、怒り狂い騎士団の行く手を執拗に阻んでいた。
行くときと同じ、いやそれ以上に騎士達が追っ手と切り結ぶ。
そして断末魔の叫びを上げていった。

 どこをどう逃げたのか、青年も覚えてはいなかった。
ただ少女の手を放さないようにつかんでいたのだ。
耳障りな不協和音の鈴の音と甲高い笑い声だけが何時までも響いていた。


 そして…ラスインの街が一望できる丘へと、命からがらたどり着いた。
その青年の目に映ったのは、業火で燃え盛る美しかった自分の国。
そしてどんな国の都よりも美しかった街の変わり果てた姿であった。
希望が絶望に変わり打ちひしがれる青年。
仲間であった騎士達も全ては戦いの中、その命を散らしていった。

少女は、笑う事を忘れその紅蓮の炎を見つめている。

「……鈴…あの中に……大事な鈴…。」

そこまで言った少女は崩れ落ちるように倒れこんだ。

「ラビア!」

 青年は思わず少女の側に駆け寄った。
少女の背中には無数の矢が刺さっており、多量の出血によって真紅に染まっていた。

「!」

 青年はその事に全く気が付かなかったのだ。少女を抱き起こし必死に少女の名前を呼んでいた。
少女は青年の声に反応し、うっすらと瞳を開け微かに微笑んだ。

「ローク…貴方から貰った鈴…なくしちゃった。ごめん…なさい。
あの時…ずっと貴方の側に居たかった…。」

 それが少女の最期の言葉だった。最後の最後で正気に戻ったのか?
それ以上どんなに呼びかけても少女の瞳は開かれなかった。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 青年は声の限り叫んでいた。怒りとも後悔ともつかない声で。
国を失い、大事な人たちを失って、青年はいつしか、おぼつかない足取りでふらふらと歩き出した。
そして…王子は失ったものの、ガルヴァインの国はまだ健在であった。

ガルヴァインの王は、ラスセルイの生き残りである青年を血眼になって探していた。
刺客を差し向けられ、5年後その刺客に見つかり、剣で射しぬかれた。
殆ど青年は、無抵抗だった。なぶり殺しにされたのだ。
それは奇しくも元ラスセルイの国のあった2人が何も知らずに良く逢っていた丘の上だった。
そして非道の限りをつくしたガルヴァイン国も、その直後に滅んでいった。


 シャラーン……。
どこか遠い所で、心地いい鈴の音を聞いたような気がした。
遥か昔、いつも聞いていた音。
何故? と考える思考より確かに身体で覚えている音。
そんな事有り得ないのに。
全てを捨ててしまった自分には、もう聴くことが出来ないのに。

 鈴が好きだった少女の顔が浮かんでくる。
シャララーン…。
三つめに心地いい鈴の音が聞こえる。

『ローク。』

 少女の屈託のない声が聞こえる。幻だ、ありえない…。
シャラシャラと美しい鈴の音が聞こえ、青年の後ろから抱きすくめる華奢な手。
それは、身体の奥底で覚えている少女のものだった。
青年の顔に困惑の表情が浮かぶ。少女はそれに反して極上の笑顔を浮かべる。

 そして彼女の横には、いつか見た美しい女性。
少女より淡く腰まである金髪、少女より濃い色合いをした蒼い瞳。
それは女神ラーフェスだった。

《若者よ。何時の刻にか、わたくしの神女(むすめ)であるこの子と添い遂げられる人生も来よう。
どうやら汝は、わたくしの神女(みこ)の目に叶った様だ。今は冥府にてゆるりと休まれよ。
冥府では…誰も汝と神女(みこ)の邪魔はしまい。》
『で…ですが女神ラーフェス様。』
『ラーフェス様は許してくださったの。行こう、安らぎの場所へ。2人で、ローク。』

 少女は嬉しそうに青年の腕に自分の腕を絡める。
青年もこの上なく優しい顔つきで少女を見つめている。
シャラシャラと、喜んでいるかのごとく鈴の音が響き渡る。
目を細め、冥府に旅立っていく青年と少女の魂を見送る女神。
2人の姿が見えなくなった時、女神が小さく呟いた。

《本来なら…我が神女(むすめ)を汚した罪によって汝の魂は、この冥府にさえ来られずいずことも知れぬ場所で朽ち果てるはずだったのだ。
我が神女(むすめ)の強い思いがなければ……。
知ってか知らいでか、我が神女(むすめ)は、汝の命乞いをし、あまつさえ自らを(おとし)める事もやってのけたのだ……。
そこまで見せられて、許さぬわけがない……。
いずれの刻にか、我が神女(むすめ)と幸せに暮らすが良い。
その刻には、汝の伝説も風化され、誰も知らぬ者はなくなるのだから…。》

クスリと苦笑する女神。

《汝はいつか知るであろうか…? 我が愛したラスセルイに残っていた伝説を…。
神女(みこ)を汚したる者、天罰が下りその国は、神の怒りに触れ滅ぼされん…。
だが…神女(みこ)を幸せにするような輩であれば、それはそもあり得ない事を…。》

 女神は静かに微笑んだ後、愛するべき大地に戻っていった。
女神が消えた後には、涼やかな鈴の音が何時までも鳴り響いていた。
    

――鈴の音 END――


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