マーリアとルーナが外に出たのを確認すると、セロルナがセイルに語りかける。
「……済まないなセイル…いつも無理難題をふっかけて……。」
「……ったく。てめぇらはいつもそうだよ。好き勝手しやがって。チッ! こんな事ならフィンの頼みであろうと何であろうと来るんじゃなかったぜ!」
「はは、そう言わずにルーナを……頼む。」
セロルナの言葉にセイルが微かに頷く。
「だがな、過剰な期待をされても応えられねぇぞ。」
「お前なら……その期待以上に応えてくれるさ。」
あっけらかんと言い放つセロルナをジロリと睨み付けるセイル。大きな溜息を付いたあと、セロルナの肩を強く叩き付ける。
「…お前にも彼女にも悪いとは思っている。」
「そんなセリフ、聞き飽きたぜ。俺達よりもルーナにだろうがっ!」
セイルの言葉に苦笑するセロルナ。セイルは再び舌打ちすると、外に出て行く。セロルナもその後を黙ったまま付いていく。
湖の
「エレア……?」
「ねぇ、レディ……怒ったの?」
わたし達の声掛けにエレアがゆっくりと振り向く。それと同時にわたしを抱きしめるエレア。どうして彼女がそんなことをしたのか判らない。
抱きしめられたとき、フワリと柔らかな香りが漂った。
「……セイルは何て言ったの?」
「え?」
「……ルーナの事よ……。」
「あ、あのね、ボクを連れて行ってくれるって……。でも1年で戻るようにって言われたよ?」
ルーナの言葉にエレアが深い溜息を付く。
「……そう……。」
「エレア……? どうしたの? 何か元気がないよ?」
わたしの言葉にエレアが微笑む。でも……ちょっとだけ辛そう?
「ううん、なんでもないの。マーリは……本当に納得したの?」
「え? う、うん……ホント言うととっても寂しいの。1年とはいえ、ルーナとそんなに長く離れるなんて……。でも……ルーナが本気でそう望んでいるんだもん……。仕方ないのかなぁ……って…。」
そう言いながら、またもや涙が溢れてきた。慌てるルーナとエレア。
「か、母さん! 泣かないでよ! ボク1年経ったら絶対に戻ってくるから! 強くなってずっとたくましくなって……。」
「ごめんね……ルーナ……。母さん泣き虫だから……。うん……待ってるからね。頑張ってきてね? エレア……ルーナをよろしくね。わたしの代わりに1年間守ってあげてね?」
「……何言っているのよ……。あたしにマーリの代わりが出来る訳ないでしょ? ルーナにとっての大好きな母様は、マーリしか居ないのよ。……母様を守るために強くなりたいのよね? ルーナ?」
エレアの言葉に、顔を真っ赤に染めるルーナ。嬉しくて思わず力一杯ルーナを抱きしめてしまった。ルーナはそんなわたしの頬に優しくキスをしてくれる。
「母さん、大好きだよ。……ホントはボクもとっても不安なの。でもいろんな世界を見たり、強くなりたいって言う気持ちもあるの。……でも、でもねボクが帰るところは、大好きな母さんや父さんの所だって覚えておいて。抱えきれないおみやげを母さんに持って帰るからね。」
「……うん…絶対だよ? 楽しみにしているから。」
わたしは再びルーナを抱きしめた。ルーナも強くわたしを抱きしめてくれる。
「マーリ? ルーナ?」
「フィン。そろそろ行くぞ。」
この声は、セロルナとセイルだ。あんまり遅いんで迎えに来たのかな? わたし達のいる畔に2人の姿が現れた。
エレアとセイルは互いの顔を見合って、静かに頷く。
セロルナがルーナを強く抱きしめる。ズキンと胸が痛む。またもや涙がドッとあふれ出した。ルーナが心配そうな顔でわたしを覗き込む。
子供に心配掛けさせるなんて、わたしってなんて頼りない母親なのかなぁ。
セロルナは優しく微笑んでわたしの肩を抱いた。
「……行っておいで、ルーナ。お前の帰りを楽しみにしているよ。母さんと2人で待っているからな?」
セロルナの言葉にルーナが大きく頷く。
「……じゃあ、頼んだぞセイル。」
「ああ……判ったよ……。行くぞ、フィン、ルーナ。」
「行って来まぁす!」
セイルの後を追って、ルーナが何度も何度もわたし達を振り向き大きく手を振っていた。わたしもセロルナも3人が見えなくなるまでずっと、見送っていた。
3人の姿が見えなくなった後、私は大声を張り上げて泣き出してしまったの。
セロルナは、そんな私を優しく撫でてくれていた。
暖かな日差しが、一日中空から降り注ぐようになった。ああ……そろそろ春なのね?
ルーナがエレアやセイルと一緒に旅をするようになって、もうそろそろ1年が経つわ。あの子が帰ってくるときが近付いている。
でも、こんなわたしを見たら、ルーナはさぞがっかりするんだろうなぁ。わたしは半年前から原因不明の病気で、ベッドから起きあがる事も叶わなくなってしまったの。
でも、あの子の元気な顔を見たら、病気も吹っ飛んじゃうかも知れないなぁ。
たった1年だったけれど、とっても長い刻だったようにも思える。ふふ……また親子3人で暮らせるのね。そして、時折わたし達の家を訪れる友人達と語らったり出来るのね。
そう言えば……きっとルーナはたくましくなって居るんだろうなぁ。
彼から戦士としての訓練を受けているんだもの。でも彼みたいに無愛想になっていたら嫌だなぁ。
……何だかひどく眠い……。寝る前にローナの顔を見たいなぁ。
そう、わたしの命より大事なセロルナ。出来るなら彼にお休みの挨拶したい……。
その願いが通じたかのように扉が開き、華やかな花の香りがする。
あれ? 花の咲く時期じゃないのに?
「マーリア。春一番の花が咲いていたよ。綺麗だろう?」
「ローナ?」
セロルナは、5〜6本の花を持って帰ってきた。花弁が開いたばかりの瑞々しい真っ白な花。春の訪れを告げるかのように優しい香りがする。
「うわぁ……ホントに綺麗! 良くこんな時期に咲いていたね。」
「湖の側で咲いていたんだよ。マーリは花が好きだろう? 来年は庭先からもこの花の姿が見えるように、庭に植えておこうか?」
「……うん。ルーナも喜ぶよねきっと。」
セロルナが、わたしの顔をまじまじと見ている。
「……ずいぶん顔色が悪いな…辛いのか?」
「ううん、全然。…あ、でもちょっと眠いかな?」
セロルナが毛布をかけ直してくれた。
「……ご免ね、ここ最近妻らしいことなんにも出来なくて……。」
軽く私の頭を小突くセロルナ。「気にするな」って言ってくれる。本当に優しいセロルナ。わたしはずっとこの優しさに包まれてきた。
でも、とっても幸せだったなぁ。
「……ルーナももう少しで帰ってくるね……。ねぇ? どんな風になっているんだろうね?」
「お前と俺の子供だぞ? たとえセイルに戦士の特訓をされようと、変わるわけがないさ。でもきっとたくましくはなっているだろうな。」
「……ルーナに心配かけちゃうね。わたしがこんな風になってたら……。」
「そうだな……心配かけないようにゆっくり休んで、2人であの子を迎えような。」
「うん……。そうだね……とっても眠くなっちゃった……。」
「ゆっくりお眠り……俺はずっとお前の側にいるよ。」
「……うん…お休みローナ……世界中で……誰よりも……愛してる……よ。」
「俺もお前だけを愛しているよ……マーリア。」
意識が深く遠のく瞬間、セロルナの優しい微笑みが瞼に焼き付いた。
ゆったりとした時間が流れていった。セロルナは、マーリアの冷たくなった手をずっと握りしめ俯いていた。
まるで永遠の刻が止まったように思える光景。瑞々しかった白い花は、すでに枯れ果ててポトリと床に落ちていった。
風が木の枝をすり抜けて、葉が擦り合う音がする。
湖の水が、風に押しやられて、波紋を作る。
静かな時間の狭間の中に、湖畔にあった家が淡い光に包まれたかと思うとゆっくりと消えていった。
一組の幸せな夫婦と共に、その場に流れる時間の中から切り離されるかのように消失していった―――
シャーラト城内で、ラ・リューラの身体がビクッと硬直し、その滑らかな動きが瞬間止まった。
「どうしたの? アス……いいえラ・リューラ様……?」
「……マーリアが……今……逝きました。セロルナと共に……。」
ラ・リューラはそれだけ言うと、星の間へと姿を消した。星の間には、一人の男性がラ・リューラを迎えていた。
「ロドリグス! マーリアが……!」
ロドリグスは、無言でラ・リューラをその腕に抱き、暫く泣かせた。
「……悲しむことはない……いずれ、遠い時間の果てで、再び出会える刻が来る……。それまであの2人は、眠りに就いただけなのだから……。」
「……そうですよ…。何より彼女は、ようやく永きに渡る呪縛から解放されたのですよ。貴女が悲しめばマーリアも心安らかに眠れないわ。さあ、顔を治しなさい?」
「母様……はい……。そうでしたね。これでエリスの呪縛は昇華されたんですものね……。」
風が――吹いた―――。
銀糸の髪が、風によって吹き上げられる。女性の瞳にうっすらと涙が光る。
(いつか……刻の交わるどこかで再び逢いましょうね……マーリア…。)
女性の側にいる少年が、ぐっと胸を押さえ込む。
「なんなの? すごくすごく悲しいよぉ! 苦しいよぉ! 早く父さんや母さんの所に帰りたい!」
女性は、悲しげに微笑み少年をそっと抱きしめた。
「……それは…もう出来ないわ……。ルーナ、貴方の両親はたった今、遙かな時間の流れに乗って旅立ってしまったの……。これから貴方は一人で生きていかなければならないのよ……。」
「……うそ……! だって! 父さんも母さんもボクを待っているって言ってくれたよ!? 必ず戻るって母さんと約束したんだ! 嘘だよね!? レディ!
父さんと母さんが2人だけで旅立ったなんて……嘘だって言ってよぉ!!」
少年は、女性に抱きついて大声で泣き出した。女性も唇を強く噛みしめ、体を微かに震わせながらその少年を抱きしめている。
「……ルーナ、お前の父親が俺等にお前を託した理由が判るか?」
男性の静かな声に泣きやむ少年。瞳からは尚も涙を溢れさせているが、男性の言葉に耳を傾けている。
「……お前の無限の未来を潰したくなかったからだよ。」
男性の言葉に目を丸くして驚いている。だが、言っている意味がよく判らないのか首を傾げている。少年を抱きしめていた女性が、そっと語りかける。
「ルーナ……覚えておいて…。三勇者の中の雄々しき太陽を父に持ち、一番三聖女の名に相応しい優しい木漏れ日のような女性を母に持った貴方。2人が、どれだけ貴方を愛していたか、そして慈しんできたかを。
そして、そんな両親に恥じない生き方をしなければいけないって言う事を。」
女性の言葉に涙を溜めたまま、大きく息を吸い込むルーナ。
「……レディやセイルも…どこかに行っちゃうの……? ボクの手の届かない所に?」
男性が苦笑しながら、ルーナの頭を勢いよく撫でる。
「俺達には俺達の行く道が、そしてお前にはお前の道があるからな。それは、これ以上つながっていないんだよ。新しいお前の未来にはな……。
だが、セロルナとマーリアの子供であるお前ならそれを乗り越えていけるはずだ。」
一瞬ルーナは不安げな表情を見せた。だがふと瞳を閉じて何かを考えているようだった。そして、その薄紫の瞳が開かれたとき、力強さが宿っていた。
「……判った。ボクは今日から一人で生きていく。父さんや母さん、そして貴方達から教わった事…、決して忘れないよ。ありがとう……そして、さようなら……。」
8歳にならない幼さを残した少年がそう言うと、2人は少年の前から去っていった。女性の美しい銀色のロングヘアーが、フワリと風に靡く。
と、同時に2人の姿が消え去っていた。
2人の銀の旅人は、ルーナの前から立ち去り、二度と再び彼の前に姿を現すことがなかった。ルーナは空の太陽を仰ぎ見て、涙をぬぐい去り歩き始めた。
自分の歩む道、自分の未来を―――