何処まで行っても白い闇が続く。
……ここは、一体何処なの……?
どうして、あたしは、こんな所にひとりぼっちで居るの……?
……父様は……?
……母様は……何処にいるの……?
二人は何処に行ったの?
ここは、黒い闇より更に怖くて、淋しい……。
ああ、何かがあたしの廻りで、騒いでいる。
……うるさい……!
誰かこの騒ぎを止めて……静かにして……。
一人の少女が、男性に抱えられて、光の象徴であるシャーラト城内の中に消えていく。
風が、少女の廻りで、激しく吹き荒ぶ。
その日から、光の城シャーラト内に大きな波紋を投げかけた一人の少女。
美しい銀髪。それに相反する漆黒の瞳。少女の目には、何も映っていなかった。
闇と光の混血である少女、エルミア・フィンリーが、シャーラトの戦士長であるラステート・エヴァンに連れて来られた晩の事であった。
彼女は、ラステートが最も信頼する、戦士長補佐、リグット・カーナの手に託された。
リグットにもエルミアと同じぐらいの娘が居ると言うことで、彼に白羽の矢が立ったのであった。
託されたリグットも、自分の娘に秘められた秘密を考えると、エルミアに何と説明して良いものか、困惑した。
しかし、その次の日の朝、困惑は不必要だった事が判ったのと、新たな心配事が増えたのと同じぐらいのショックを受けた。
エルミアは、まるで、一切のものを拒否するようにその綺麗な瞳には、何も映して居なかった。
リグットが、どれだけ食事を口に運んでも、飲み込もうとしない。
むせ込み、吐き出してしまう。
彼の愛娘、アスティア・カーナも孤軍奮闘してみるが、リグットと同じ結果になってしまう。
エルミアの状態は、一向に変わらず、その次の日も、同様であった。
涙ぐましい努力をして、何とかしてでもスープだけでもと、エルミアの口に運ぶがその小さな喉には、何も通っていかない。
「……エルミア、全然食べてくれないね。父様ぁ……、エルミア……どうなっちゃうの?」
アスティアの心配そうな言葉にリグットの脳裏には、このままでは衰弱して死んでしまう事が思い浮かぶ。
そんな事をさせられない。このままでは、ダメだ。
このエルミアだって、自分の娘と同じ年齢だというのにそんな少女が、どうしておとなしく死を受け入れようとするんだ?
四苦八苦して、何とかエルミアに食べさせて、生き延びさせたい。
悪戦苦闘しているリグットの部屋にノックが響き、来訪者が一人あった。
リグットが手を離せないため、アスティアが代わりに出る。
アスティアは、来訪者を見て、喜びはしゃいでいた。
エルミアが、何も喉を通さないと言うのに、はしゃいでいるアスティアが
「アスティア! 誰なんだ!?」
いきなり、怒鳴り声を出すリグットに、アスティアと来訪者の身体が硬直する。
スープすら受け付けないエルミアを心配する余り、心の余裕が無くなってしまっていたリグットも、怒鳴られ泣きそうな顔をしているアスティアを見て、気まずい顔をしている。
ふと、来訪者を見ると薄茶色の髪、ダークブルーの瞳を持つ16歳の少年であった。
名前はアレスナ・ファーグ。
彼も、この戦士宮に見習い戦士として、リグットから指南を受けていた一人。
アレスナは、アスティアとリグットに促され、リグットの部屋に恐る恐る入る。
彼の部屋の中には、ベッドに座っている一人の少女が居る。
アスティアが、アレスナに、エルミアの事を説明する。
リグットは、再びスプーンを持って、無駄と知りつつ食事を運ぶ。
「……何も食べようとしないんですか? その少女は……?」
アレスナが、リグットに尋ねる。このアレスナは、冷やかしに来たのだろうか?
それとも、悪態を付きに来たのだろうか?
ここは、光の象徴であるシャーラトである。
光の人間だと自負する者達にとって、闇の血を引いていると言うだけで、許し難い存在であるエルミア。
「ああ、そうだよ。お手上げ状態だ。満足だろう?」
殆ど、八つ当たりに近い棘のある言葉を全身で拒否するアレスナ。
「違います! 僕は冷やかしに来たんじゃありません! ……その少女の話を聞いて心配で来たんです!」
アレスナの意外な言葉に驚くリグット。
「……このシャーラトに……エルミアの事を心配するような奴が居たのか……?」
リグットの言葉に、苦笑するアレスナ。
「……嫌だなぁ……リグット様だって、彼女の事を心配してるじゃ無いですか?
その少女は……エルミアって言うんですか?」
アレスナの言葉に頷くリグット。
アレスナの言葉に、少し落ち着きを取り戻したらしい。
「……ああ、セカンド・ネームは判らないが、彼女を連れてきた戦士長がそう言っていたから間違いはないと思う。」
アスティアに促され、エルミアの間近によってくるアレスナ。
「……闇には、セカンド・ネームって存在しませんよ。」
アレスナの言葉に不思議そうな顔をして、アレスナを振り返るリグット。
「……え?」
アレスナは、リグットの疑問に答える。
「……あ、僕の村は、闇のラトラーゼルと、光のシャーラトの境界に近いんです。それで少しは、闇の事も知って居るんです。
……でも、このエルミアって、完璧なハーフなんですね。美しい銀髪、漆黒の瞳……。
こんなに見事なほど、光と闇の特徴が、出ている人って生まれて初めて見ました。
……闇と光の混血って、外見に出てくる特徴は、普通もっとあやふやなんだけど……。」
アレスナの言葉に疑問を持つリグット。
いくら、闇の境界が近いと言っても、そこまで闇の事に詳しいものだろうか?
アレスナの知っている事は、戦士長や、戦士長補佐である自分ですら知り得ない事である。
いや……待てよ。
ラトラーゼルが近いって言う事は、闇の人間と交わっている可能性もある。
そう思った瞬間、顔色を変えるリグット。
アレスナも、リグットの表情に気が付き、慌てて口を押さえる。
その表情は、まずい事を言ったという顔つきであった。
「……君も……闇の血を引いているのか?」
リグットの質問に、どう答えようかと思案している様子だったが、やがて意を決した様に答えるアレスナ。
「……はい。僕の場合は、クォーターになりますが……。混血には、 変わりありません。……僕の村では、当たり前の事なんです。
……もし、リグット様が、闇の血が少しでも混じっている者は、敵だと仰るなら……戦士長に話されても構いません。」
アレスナの瞳には、固い決意があった。
おそらく、自分の告白によって追放や罵倒は、覚悟の上だったのだろう。
その思いを汲み取ったリグット。
「……正直言って、驚いたが……君は闇のスパイではないのだろう?」
リグットの言葉に、アレスナがきっぱりと否定する。
「例え、闇の血を引いていたって、誓ってそんな事はありません!」
アレスナの言葉に、リグットが微笑む。
「では、闇の血が混じっていようと、関係ないな。只……このシャーラトで暮らす以上、その事は、隠して置いた方が、得策だと思うが……?」
リグットの言葉に、顔を輝かせ、頬を紅潮させ、大きな声ではいっ!と返事をする。
よほど、リグットの言葉が嬉しかったのだろう。
アスティアも、リグットと、アレスナの雰囲気が落ち着いたことに喜んでいる。
だが、それで終わりではない。
まだ大きな問題が残っていたのだ。リグットとアレスナ、アスティアの3人は、エルミアの方に視線を向けた。
アレスナは、エルミアの顔の前で、自分の手を左右に動かす。
しかし、エルミアの視線は、動く事無く何処を見ているのかさえも判らない。
「……本当に何の反応も示さないんですね……。でもどうして……?」
アレスナの疑問に、リグットが溜息を付きながら答えた。
「戦士長の話だと、エルミアの両親は、何者かに惨殺されてたそうだ。 ……多分この子は、その一部始終を見ていたんだと思う。
きっとそのショックで、放心状態になって居るんじゃないかな……。」
リグットは、きゅっと唇を噛んで、何も見ようとしないエルミアに哀しそうな視線を向 けていた。
アレスナは、戸惑いながら、エルミアの髪を優しくさする。
ベッド横の台の上にあったスープと、スプーンに視線が行く。
「……あの、僕も食べさせてみて、良いですか……?」
アレスナの言葉に、リグットが頷く。
「……ああ、とにかく何か、食べてくれないと、エルミアの身体が衰弱してしまう……。黙って死を待つだけには、させたくないんだ。」
リグットの言葉に、アスティアも頷く。
「……えっと、ちょっと失礼します。」
アレスナはそう言うと、ベッドの側の椅子に腰をかけ、放心状態のエルミアを自分の膝の上に抱きかかえた。
スープを一口スプーンに掬って、エルミアの口許に持っていく。
「……君の父さんや母さんのためにも、君は生きなくちゃいけないんだよ。少しでも、 食べるんだよ。君のためにも、亡くなった父さんや、母さんのためにも……。」
アレスナの優しい声が、リグットとアスティアの耳に子守歌のように聞こえる。
……父様……母様……?
アレスナの声に反応したのか、エルミアの小さな口が虚ろに開かれる。
その小さな口にアレスナの運んだスープが、静かに入っていく。
コクン……。
静まり返っていたリグットの部屋に微かな小さな音が、3人の耳に聞こえた。
おそらくその3人は、今までこんなに心地よく、安心した音を聞いたことが無かった であろう。
その音が聞こえるなり3人の顔が、パァッと輝く。
「飲んだ! やっと飲んでくれた!」
思わずリグットが、感極まって大声を上げる。
「わぁ〜い♪」
アスティアが、小躍りをして、万歳をしながら部屋の中を駆け回る。
リグットは、エルミアを膝に乗せているアレスナごと抱きしめ、喜びを表している。
「ありがとう! アレスナ、これでエルミアも生きていける!」
喜んでいるリグットを見つめ、不思議そうに尋ねるアレスナ。
「……エルミアは、闇との混血なのに本当に心配して居るんですね……。
リグット様は、何故、そうも彼女や僕の事を認められるんですか?
シャーラトの人々は、闇という存在を否定してます。
……リグット様は、何故闇を否定しないんですか?」
アレスナの質問に、リグットが笑顔を見せる。
「そりゃあ、襲ってくるなら戦士として戦ったり、切り捨てたりもするよ。
だが、闇の人間だって人間に変わりないだろう?
戦意のない者や、敵意のない者にまで剣を向けるような愚かな真似はしたくないからね。」
アレスナは、リグットの言葉に、信じられないような顔をしていた。
しかし、リグットもアスティアも、アレスナの思いなど関係なく只純粋にエルミアが食べてくれたと言うことを喜んでいる。
それから何日間かは、リグットの部屋にこまめに通うアレスナの姿があった。
エルミアの状態は、相変わらずであったがそれでも食べ物を口に持っていけば、きちんと食べてくれる。
アレスナもアスティアも、エルミアに優しく話しかけている。
リグットを始め、アスティアとアレスナも正気に戻ったエルミアと話をしたい、彼女の笑顔がみたいと願い始めた矢先、思いがけないことがあった。
それは、エルミアがリグットの所に引き取られ、7日ぐらいたったある日のことであった。話は、その前の日の晩にさかのぼる。
シャーラトの人間が、寝静まった夜更け。
一人の少女が、ふらつく足取りで戦士宮から誰にも知られずに抜け出した。
その少女こそ、リグットの元に連れて来られたエルミアであった。