Novel

エリュートス・アラノ

著者:美桜
754

「ディエイトス殿、貴殿の屋敷に滞在しておる闇の者。その後どうなのかね?」

 老人ディエイトスはアーマ上層部からの召集により、政務殿(せいむででん)に呼ばれていた。
もちろん彼が呼ばれたのは、エリュートスについてである事は言うまでもない。
今までは怪我の治療を優先させて欲しいと、上層部には召集をやんわりと拒否していたのだが。現在のエリュートスの状況では、怪我を理由には出来なくなっていた為。
ディエイトスは止む無く召集に応じたのだ。

 アーマは王政で有りながら、他国と一線を駕した制度を取り入れている珍しい国だった。
王であるラディフ・アーマは国の顔であり代表ではあるが、政務に関しては民衆が選出した数百名の各代表たちで国の運営を取り仕切り。
ラディフ・アーマは決議された政まつりごとの最終決定をするのみであった。

 シャーラトに似てはいるが、政務を執り行う執政官がシャーラトの場合世襲制であるのに対して、アーマの政務官は定められた期間ごとに民衆の投票によって選出される事に決定的な違いがある。
世襲制では補えない、公平さと。民衆の総意で選出されたと言う責任の重みが、シャーラトの執政官たちのように私欲に走る者に歯止めを聞かせていた。

「エリュートス殿は、我が屋敷にて怪我も完治し。ゆるりと過ごしております。」
「かの者は、もとアラノであったと伝え聞くが真であろうか?」

 政務殿の会議室、ラディフ・アーマを中心に左右に羽を広げたように配置された長いテーブルに10名づつの各政務代表が座り。
さらにディエイトスの後ろには、円形状5段階に設置されたテーブルには平等・公平に話し合いが成される為に。およそ40名が列席している。
その中の1人が、エリュートスの現状を問うてきたのだ。

「うむ、皆もご承知の通り。ラトラーゼルで裏切りは日常茶飯事であり、エリュートス殿もアラノでありながらその地位を追われたようですな。」
「ディエイトスよ、そなたから見て。その者はどのようか? アーマに害を成す存在か?」

 ラディフ・アーマの問いは率直なものであった。
ラトラーゼルの頂点に在位した者が、アーマに流れてきたのはアーマの歴史始まって以来。初めての事であった為に、政務殿に集まった代表たちはエリュートスをどう扱って良いのか考えあぐねていたのかも知れない。
万が一にもエリュートスがアーマに付くとなれば、これほどの戦力はない。

 しかし、これがラトラーゼルの策略であれば……。その疑念が拭えない以上、慎重に成らざるを得ない。
懐にもっとも恐ろしい毒蛇を飼う事になってしまう。

「皆が納得出来るかは判らぬが……。エリュートス殿が意識を取り戻した当初は、彼も警戒していたが。現在は心を開き、自然の尊さと命の重みを理解しております。
何より慈しみの心が芽生えている彼に、間者であると言う疑惑は持ちえません。」

 ラディフ・アーマの右隣に座る総代(政務官たち全ての代表)が訝しむ表情でディエイトスを見つめ疑問を投げかける。

「それすらも、その者の策略であったならば。どうなさる?」
「それは有り得ないと思う。この数日エリュートス殿を見、話をしてきた私は彼を信じております。」
「エリュートス・アラノ……。
かの者は、このアーマを落とす為に多くの密偵を街に潜ませておりましたな。
あらかたは燻りだしはしたが、まだまだ何処ぞに潜んでいるはず。
その者達と連絡を取り合ってる可能性は無いのだろうか?」

 ラディフ・アーマの左隣に座る副総代が、更に疑問を投げかける。これは頭からエリュートスを疑っている訳では無く、一つ一つの疑念を潰していく作業である事をディエイトスは知っていた。
だからこそ、自分が見た真実をこの場で皆に告げて。疑う余地なしと言う裁定を得なければならないのだ。
そうすればエリュートスは晴れてアーマの一員となり、シェンと共に暮らして行ける。

 

 心が自然に開放されたエリュートスは、今では別人のようにラーガスの屋敷で過ごしている。
そしてシェンとエリュートスの間には確実に深い繋がりが生まれている事を、ディエイトスは敏感に察知していたからこそ。
娘の幸せの為に、果てはアーマにとっても良い事であると判断した老人は、エリュートスをアーマの民として迎え入れることが出来るように、最善を尽くしているのだった。

 長時間に及ぶ審問会は、陽が沈む頃に翌日に延期となり。ディエイトスは政務殿を後にした。
1日・2日で簡単に決定が出せる程、簡単な問題で無い事は審問会に出席した一同が知っていた。エリュートスの立場を考えれば当然の事である。
夕日に染まる政務殿を見上げながら、ディエイトスはこれからの長期戦に思いを馳せる。

(長い戦いになりそうじゃのお……)


 ラーガスの屋敷ではシェンとエリュートスが、毎夜の会話を楽しんでいた。
二人の間には熱い想いが通い合っているのだが、エリュートスはその想いをまだまだ素直に表現出来ずにいた。
闇の人間、もとアラノ。
それらの意識が未だに彼の感情にセーブをかけてしまい、もどかしさを感じながらも、シェンとの時間を大切にしていた。

「あぁ、そう言えば10日後に式典が城で催されるのだが。エリュートスも見に来るか?」
「式典?」
「うむラディフ・アーマの誕生祭なのだが……。」
「もしや、誰でもその日のみ自由に城に入れると言う式典か?」
「ほぉ……知っていたか。私は当日、式典の警護で共に居られないが。興味があるのなら行ってみてはどうかと思ってな。」

 知っていた―――。
シェンの話にエリュートスは胸の中に暗黒が渦巻くのを感じていた。
アーマが年に一度強固な警備の元。城の一部を一般に開放する式典がある事を、アラノであった時期に密偵からの報告で知っていたのだ。
その上で、その式典に合わせて彼は策略を張り巡らし、長い時間をかけて準備をしてきたはず。
しかしその計画は実行される事なく、彼はアラノを追われ。今ここに居る……。
だが、もしその計画を知るものが現アラノに報告すればどうなるか。

 密偵をアーマに潜ませるよう助言したのは誰だったか?
式典を利用して、ラディフ・アーマ殺害計画を提案したのは誰だったか?

 ―――ゼリアデラ―――

 エリュートスは一気に血の気が引いた、計画の立案者が居る以上。準備は着実に進んでいるはず、実行されれば警護にあたるシェンすら危険だ。

「エリュートス? どうしたのだ、さっきから黙ってしまって。」

 美しい笑顔で自分の顔を覗き込むシェン、万が一彼女が殺されたら……。そう思った途端、エリュートスの心臓がひきつれるように痛み。耐え難い孤独感が襲ってくる。

『嫌だ、シェンを失いたくない。』

 この笑顔を失いたくない。

「エリュートス……。」

 気が付くとシェンを力いっぱい抱きしめていた、恐ろしいまでの孤独感から、無意識に彼女を抱き寄せていたらしい。
我に返ったエリュートスはそっとシェンを放すと、深い溜息とも取れるほどの大きな息を吐いた。
今しがたの動揺を覆い隠すかのごとく……。

「すまなかった、何でもない。気にするな。」
「気にするなと言うが……本当に大丈夫なのか?」

 心配そうにエリュートスの顔を覗き込むシェンに、これ以上の心配をかけさせないように彼は無理にでも笑みを浮かべる。
相手に負担をかけさせまいとして……。
シェンは何かを探るように彼の瞳を覗きこむが、無駄な事と判断し。空気を包みこむような優しさでエリュートスを抱く。

「……。まったく、一度隠すと決めた事は決して読ませないとは判っているが。
いいか? 私とてエリュートスを失いたくないのは同じ事なのだぞ、お前が私の命以上に大切なのだから。」
「……。」
「だが、嬉しくもあるか。私に負担をかけまいとしているのだろう?
その気持ちはとても嬉しいと思うし、エリュートスが思いやりを持っている証ともなるのだから。」

 まったくシェンの洞察力には、驚かされると彼は内心で苦笑いしていた。
程なくディエイトスの帰宅と同時に、夕餉の準備が整い。シェンとエリュートスもディエイトスと共に遅い晩餐を取る事になった。
ディエイトスから召集の内容を、エリュートスに報告する事を老人は出掛けに約束していたからである。
家人を交えず3人のみでの食卓で老人は、現状での難しさを包み隠さずに報告した後。
それぞれが互いの想いを口にし、今後どうするかを相談した。

 決して楽な道のりでは無いが、かといって希望が無いわけでも無い。いずれエリュートスも政務殿に呼ばれる可能性も出てくるだろう。
その為にはアーマのしきたりや思想なども判っていた方が良いと言うのが、ディエイトスが出した結論だった。

 やがて晩餐も終わり、各々が部屋へと戻っていく。
屋敷には必要最低限の灯りだけが灯され、シーンと静まり返った中。エリュートスだけがまだ起きていた。
動きやすい服装に着替え、その懐に短剣を忍ばせるとベランダの大窓を静かに開けち。
素早い動作でバルコニーからもっとも近い木の枝へと飛び移り、庭へと降り立つ。
そうして闇の中に溶け込むように、消えていった……。

「やはり動いたか……。」
「はい、父上。」

 灯りが消えている別の窓から、ディエイトスとシェンが弱々しい蝋燭の火のもとで。闇の中に溶け込むように消えて行くエリュートスを見送っていた。

「彼はどう動くかの。」

 ディエイトスの問いかけに、シェンは答えなかった。
エリュートスを信じている気持ちに変わりは無く、彼には彼の決意があっての行動である事も判っていたから。

「明日の朝には戻って来るでしょう。」

 それだけ言うと、シェンは自室に戻っていく。

 

 かくも強い信頼を持ったものよ……。
と老人は自分の娘でありながら、その揺ぎ無い信頼に感服していた。

 ラーガス家を継ぐ娘として自分の持てる知識を、全て叩き込んだ。
元々の素質もあいまって申し分のない程に成長した娘が、選んだ男性……。そして己が目で見てきたエリュートス。
見込み違いでは無いと確信はあっても、シェンほどに信頼している訳でもなかったのだ。

 
 

 夜の闇に包まれたアーマの街を疾走するエリュートスは、ただ一点の場所を目指していた。
初めての街とは言え、式典を利用してのアーマ王殺害を企てたのは他ならぬ自分である。
アーマの地理形態は密偵から得たアーマの地図で、あらかた頭の中には入っていた。

 ……そう、アラノであった時。エリュートスは常に自分が率先して動いていたのだ。
ただ王座にふんぞり返るだけなら誰でも出来る。だが彼はそれを良しとはしなかった。
世界を手に入れようとする以上、自分も動かなければ下の者に足を(すく)われかねない。
もっとも信頼出来る側近を傍に置き、常に周囲に警戒しつつ己も行動する……。
そんなエリュートスだったからこそ、ゼリアデラにとって自分は邪魔な存在だったのだろう。

 ゼリアデラの毒々しい瞳に気が付いていなかった訳ではなかった。
いずれ何らかの動きを見せる予感はしていたが、まさかこの計画が最終段階に入った土壇場でその動きをするとは思ってもいなかったのだ。
そうした油断から信頼する側近は惨殺され、自分も死にかけた……。
今更悔いても時は戻らない、今は自分に出来る事をするのみだった。

 
 

 やがて朝日が差し込み、シェンが朝食の準備が出来た事をエリュートスに告げるためドアをノックする。

「エリュートス、起きているか?」

 返事は返って来ないが、暫くするとドアが開かれ。身支度を整えたエリュートスが朝の挨拶と共に部屋から出て来た。
シェンはにっこりと微笑み共に階段を下りて行く。
何も言わないが、かすかにエリュートスから漂う香りに気付きながらも。敢えて知らぬ素振りをする。
食卓を囲みいざ食事を……となった時、早馬がラーガス家に駆け込んできた。
ディエトスは自分が報告を受けるので皆は食事を続けるよう促す、家人たちは気になるのか老人の立ち去った方を多少気にしながら。それでも食事を口に運ぶ、そんな中でシェンとエリュートスだけが何も気にせずに食事をしていた。

 馬の嘶きと共に、ゆっくりとディエイトスが戻ってくると。今しがた受けた内容をシェンに告げる。

「昨晩、とある小さな酒場が何者かに襲われたようじゃ。」
「まぁ……怖い……。」

 口を挟んだのは次女だった、口に運んでたスープの手を止め。両手で口を押さえて青ざめる彼女に老人は心配する必要は無い事を告げると、話を続ける。

「その酒場は、どうやら悪しき者どもの溜まり場だったらしくてのお。
余りの騒動に誰かが警備隊に連絡し駆けつけた時には全てが済んだ後だったようじゃ。」
「ほぉ、悪しき者ですか……。さぞや見た目も真っ黒な者どもだったのであろう、その心同様に。」
「シェンお姉さま……嫌ですわ。それにエリュートス様に失礼ですわよ……。」

  しかし、当のエリュートスは意に介した風も無く毅然としている。

「何を言う、エリュートスの心は真っ黒ではないぞ。」

 にっこり微笑むシェンに、エリュートスも薄っすらと笑みを返す。
ディエイトスもそんな二人を見つめフォッフォッフォと笑うと、食卓に着きなおし家人との楽しい朝食を始めた。


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